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2009/8/14  1:06

EF5870牽引 急行「おが」:お盆の帰省風景  EF58のアルバム
こんばんわ。

世間一般的にはお盆ですね。休みなんですね〜。でも、私は休みじゃないんですねぇ〜
しかし、地震だ、台風だって、何もこんな時期に・・・って感じじゃない災害が起こって、しかも蒸し暑くてチョー不快!早くさわやかな夏晴れにならないもんですかね。

さて、お盆の風物詩といえば、高速道路の大渋滞と新幹線のホーム。妙に大人振った生意気なガキお子様がインタビューに答えている様子が写りますが・・・。

今からたった25年前、新幹線が開業するまでは、上野駅でも昭和の雰囲気を漂わせる帰省風景がありました。
今日はそんな中から1枚だけアップします。※大きくしちゃいますよ!


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昭和55年8月13日 EF5870牽引 急行「おが3号」

未だ高校生の頃です。初めはこの列車が何か判別できなかったのですが、隣の13番線に停車中の列車が秋田行きの急行「鳥海」ですので、時刻表に照らし合わせると、季節急行の「おが3号」であることが判りました。

写真を大きくしていただけると判ると思うのですが、いま正に乗客が列車の乗り込み始めたところで、列をなして車内へと入っていく様子が伝わってきます。さらに14番線には、この急行「おが」の後発となる夜行列車の待ち客の荷物がホームに置かれ、順番待ちをしている様子も判ります。

そして、となりの秋田行き急行「鳥海」ともなれば、座席に座りきれずに通路に立席客が出ている様子も判ります。東海道・山陽では新幹線が幅を利かせていた時代ですが、昼間の特急列車が満席となってしまえば、夜を徹してでも夜行急行に乗っていくしかなかったのですね。
昔は夜行列車の座席を確保するために、朝から10時間以上も並ぶなんてこともありましたから、今のように指定をとってギリギリに乗り込めば・・・なんて悠長なことは言っていられなかったのです。そんな呑気な人は、途中駅で下車客の出ない夜行列車で立って寝ていくしか術がなかったわけです。

ついでに、70号機を掲載したのが今回初めてなので少し触れておきますが、もちろん所属は宇都宮運転所です。
元上越形でツララ切りを装備していますが、ホイッスルカバーは撤去されています。
パンタは原形のPS14、側面フィルタも滑らかなところを見ると原形のようです。ただし、テールランプは外ハメ式に改造されています。まだ末期ではないので、デフロスタは未装着のようですね。


しかし、こうして見ると、真夏の暑い夜に冷房も付いていない旧型客車、混み合って減光もきかない車内。今から考えれば「帰省」というのはとてつもなく過酷な試練だったのですね。現代人よ!混んでいるくらいでブツクサなんて、甘過ぎますぞ!

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2009/8/23  22:13

投稿者:キハ181つばさ
宮オオ様
当時は形態差なんてまったく考えずに撮っていましたが、スキャニングして写真を並べてみると、宇都宮のヒサシ付って沢山いたんですね。
89もたまたま最後に残ったヒサシ付っていうだけで博物館に収蔵されるという栄誉に輝きましたが、廃車順序が違っていれば、確実に違う状況になっていた筈です。

2009/8/22  8:53

投稿者:宮オオ
2回目のコメント失礼します。
この70号機は当初大窓でオギャーし、のち合わせガラス化により変形小窓=窓下もR化=に改造され、最期はHゴム化されてそのまゝ天国送りとなりましたが、かつての宇都宮区にはいろんなスタイルの庇付きのゴハチがいて、鉄道博物館に居る89号機は蚊帳の外的な存在だったようですね。
末期のゴハチの正面スタイルを見てると、後年の103系電車の正面スタイルが思い起こされます。
それでは、こゝら辺にて失礼します。

2009/8/19  23:22

投稿者:キハ181つばさ
金太郎様
71・72が東京区ですか?私が撮った写真は、71が「北陸」、72が「鳥海」でした。東京区での活躍というのは見たことがないですね。
私は雑客自由席の夜行というと、「山陰」「すずらん」「大雪」「利尻」函館本線41レと北海道ばかりですね。全国に足を運ぶようになったときには、急行も12系とか14系になっちゃってました。ガラ空きでしたらボックスシートの雑客で十分ですが、満員だとトイレも行けなくなりそうでつらいですね。

2009/8/18  23:01

投稿者:金太郎
昭和55年だと上野発着の旧客の最末期というところですね。
手動ドア、非冷房、おまけに引き出し時の自連のショックに耐えながら立ちか、床に雑魚寝ではさぞしんどかった事と思います。

ゴハチの70番がいつ宇都宮に転属したのか不明ですが上越型の形態のカマで近いナンバーを調べますと東京区の67番、71,72番が長岡区所属だったようです。

そういえば鳥海あたりは遅くまで茶色のオハ46が混じってたなんて記録もあるようですが。

PS17  記事がうPされた時点でコメしたかったのですが、この時期いつもヘロヘロですので遅くなりました。
ポチっとしておきます。

2009/8/17  23:30

投稿者:キハ181つばさ
シービー様
私も夜行には結構乗りましたが、上野発だと「津軽」以外には「あづま」「ばんだい」「佐渡」「妙高」といった近距離のものばかりですね。遠出をするようになったのは高校ですから、新幹線開業でなくなるまでにはあまり出られなかったのが要因でしょう。
乗った思い出の数よりも、乗せ込んだアルバイトの日数の方がはるかに多いですね(笑)。

2009/8/17  22:34

投稿者:シービー
私も上野発の夜行急行客車列車乗車のときには、並んだものでした。
津軽、八甲田、能登、乗車した事がありますが、旧客では津軽2号の時代でした。
あの頃は上野駅も、ホームに活気がありました。

http://blogs.yahoo.co.jp/mrcbcross14

2009/8/15  8:16

投稿者:キハ181つばさ
くま様
「高千穂」見に行きましたよ!日付が変わりそうだったのでポチだけしておきました。後でまたコメントを置きに参ります!
新幹線の開業前、ちょうど高校生の時に3年間上野駅でアルバイトしてました。とにかく上野発の夜行列車の需要は凄かったですね。あれだけ昼間に特急列車が走っていても、やはり現地に朝到着するというのが魅力なのでしょうか?乗り継ぎの線の関係もあるのかもしれませんが。ブルトレ自体が衰退してしまった時代、こんな時代が来るとは思いませんでした。

2009/8/14  1:56

投稿者:くま
汽車旅、旅情をそそりますな。
丁度、[高千穂]乗車記の九州編を書き上げたところですわ。[鳥海]も[能登]も[津軽]も混んでましたなー、お盆や、秋の収穫、収穫が終わって出稼ぎのシーズン。
懐かしいです。そのうち、私もアップします。旧型客車の急客末期の頃(まだ昭和47〜49年頃のネガ整理やってますのでいつになることやら)。

村ポチしておきますネ

http://blogs.yahoo.co.jp/gunmano_kumasan/folder/305017.html

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