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2009/10/15  0:52

453系 急行「「ときわ」「もりおか」  その他電車
こんばんわ。

なんか疲れましたわ。どうも仕事がスムーズじゃないんですよね。なんかこう、楽に変わらないようなトラブルとか間違いとかあったりして、必ず何かしらジタバタしている感じで。
まあ、それはそれとして、ネタはジタバタしないでアップしておきましょう。

このところ私鉄ネタが続いてしまったので、今日は国鉄電車ネタ。しかも久々の急行電車です。


常磐線の急行と言えば、やはり「ときわ」が代表と言えるでしょうね。特急「ひたち」が季節運転で1往復しか設定されていない時代から、常磐線の昼間の優等列車として活躍してきたわけですから。
私の年代で言うと、この他にも「もりおか」「そうま」といった列車も設定されていましたが、特にヘッドマークも付いていた訳ではなし、必然的にカメラを向ける回数は極端に少なかったと思います。

※過去ログでの気動車急行 キハ58系急行「ときわ」「奥久慈」はこちら

それでも、気動車急行以外に撮った写真が3枚ほどありましたので、写真を大〜きくしてご紹介したいと思います。


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昭和56年5月 常磐線 新松戸駅にて

列車番号の札が無くて、列車名が特定できません。急行列車はこれが困るんですよね。特に常磐急行は、殆どの列車が全く同じ編成なんですから。まあ、多分、本数比からして「ときわ」でしょうけどね。
2両目のM’車の屋根肩ルーバーが小さく、先頭車の雨どいが乗務員ドア上まできていることから、クモハ453+モハ452であることが判ります。


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昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖〜土浦

国鉄に入社した年ですね。同じく仕事の不規則な東武社員の友人と平日でも良く撮影いったものです。この頃の常磐線は、583系「ゆうづる」「みちのく」、気動車急行、気動車荷物、EF80客レ・貨物と、まだバラエティーに富んでいて面白みはありましたね。ただ、ロケーションを良く知らない地域だったので、余り足が向かなかったのも否定できません。
この写真も遠くて列車番号が判りません。これも多分「ときわ」でしょうけどね。
この写真、スキャニングするまで判らなかったのですが、画面左側のカーブ立ち上がりから対向の急行列車が来ているんですよね。逆タイミングで撮っていればすれ違い写真も望めたんでしょうけど。昔から単焦点レンズばかり使っていたので、融通は利かないんですけどね。
こちらは、最後部クハの形式は判別付きませんが、電動車ユニットはルーバーの形状から455系のようです。


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昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖〜土浦

こちらも同じ日に撮影したものですが、こちらはバッチリ列車番号がひょうじされていて、ズバリ下り急行「もりおか1号」であることが判ります。こういうのって、写真を整理していて非常に気持ちが良いですね。
こちらも1枚目と同様、形状からクモハ453+モハ452であることが判りますね。


常磐線への撮影回数は少なかったですが、時代的にネタが沢山ありましたので薄まってしまっても仕方なかったですね。そんな中でもこうして急行列車の当たり前の時代を撮っておくことが出来て良かったです。
欲を言えば、カラー写真が1枚も無かったのは残念だったですね。

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2009/10/18  15:09

投稿者:キハ181つばさ
シービー様
急行列車って、我々の世代だとヘッドマークが無いから、面白みもないのであまり写真に撮らなかったですよね。中学生まででしたが、東北や上信越はサハシがつながっていたので、編成写真をもっと撮っておけば良かったと思います。常磐線は編成バラエティーがあまり無かったから余計に面白みに欠けたかもしれませんね。

2009/10/18  11:34

投稿者:シービー
「ときわ」何回か利用しました。
当時は、普通列車は非冷房でしたから、夏場に急行料金を払ってでも、冷房車にありついたものでした。
常磐線の電車急行、そういえば走行写真は撮ってなくて、上野駅での駅撮りだけでした。

2009/10/16  23:54

投稿者:キハ181つばさ
line様
基本的には455系までスリットタイプが使用されていたので、当然451系・453系の基本はスリットタイプになりますが、それでは区別になりませんね。後期には、453系でもスリットタイプに改造されたものも居たようです。
東北線に比べると、常磐線の急行は良くわからないパターンでしたね。東北線は比較的に急行列車停車駅が固定されていた印象が強いです。

2009/10/16  18:02

投稿者:line
当時、タイフォンがスリットのやつが453系だなどと言ってましたが、どうも間違えのようですね。
水カツの車両はスリットタイフォンばかりでした。
「ときわ」も高萩より先は、房総急行同様、停車駅がバラバラでしたから、乗る方は使い難かったですな。

2009/10/16  0:13

投稿者:キハ181つばさ
金太郎様
本線では様々な行き先の急行列車が走っているので、単独愛称で10往復というのは全国的にも珍しかったのではないでしょうかね。他には鹿児島本線の「ぎんなん」、日豊本線の「ゆのか」なんていうのが本数があったようですが、さすがに10往復までは行かないようです。
勝田の455系は、おそらく東北新幹線開業辺りからの動きじゃないですかね。基本的に山岳路線を走る磐越西線や奥羽本線系に優先して運用されていたようなので、平坦な常磐線は451系で十分ということだったようですね。

2009/10/15  23:48

投稿者:キハ181つばさ
マニラから大阪へ様
ようこそいらっしゃいました。
随分な長距離を通っていらっしゃいましたね。
常磐線は今から考えるとかなりバラエティーな車両・列車があったのですが、それ以上に他での撮影も忙しくて、そんなに行く機会がなかったですね。
こうした地味な列車に反応する方は、特に思い入れがあるか、或いは身近に接して来た方ですね。そうじゃないと、何の愛称名も区別も付かない列車には付いて来れないんですよね(笑)。
でも、こんな写真でもよろこんでいただけることに意義を感じてやっていますので、また是非遊びに来てくださいね。

2009/10/15  22:31

投稿者:金太郎
久々になつかしの急行ネタ来ましたね。
ときわといえば60.3ダイヤ改正でひたちに格上げされるまで10往復以上あった筈です。
もりおかは山陽のつくし亡き後当時最長距離を走る電車急行だったと思います。
ときわに編入されちゃいましたがそうまなんてのもありましたね。
もりおかも57.11以降仙台発着のときわになりましたが。
今、当時の時刻表を見てますが最速のときわで上野-水戸間90分という事は結構早かったのでは。
仙台から転じてきた455系が勝田に何ユニット存在したかは解らないですが恐らく初期の451系を置き換える為でしょう。
編成といい本数といいこの当時最後まで残った急行らしい急行かもしれないですね。

2009/10/15  1:34

投稿者:マニラから大阪へ
う〜、懐かしい!
昭和47年から4年間、通学で京急の上大岡から東武野田線の運河迄通っていました。毎日の様に上野で急行もりおかを横目に103系快速に。帰路はたまにEF80の牽く確か原ノ町発のPCにわざわざ乗ったりしました。野田線には3扉化された5310がいて、車体だけは新しい3000に乗り心地で差をつけていました。千代田線にも5000の5連×2が6000に混じって少し走っていました。ディーゼルのときわ・奥久慈のガガガーという通過音も脳裏に蘇って来ます。たまにキニの2連も走っていました。
よい思い出をありがとう!

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