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2013/2/22  2:14

155系修学旅行色  その他電車
こんばんわ。

今回は、ここに載せる予定ではなかったのですが、ネタがないのでちょっとだけご紹介したいと思います。


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昭和51年頃 155系 日光集約臨

日光集約臨は私が物心付いた頃には既に電車化されており、写真を撮るようになってからは湘南色に塗り替えられた155系ばかりが使われていたイメージがすごく強いのですが・・・。

この写真、昔から撮っていた自覚はあったのですが、リコーオートハーフで撮影したもので案の定ぶれているため、プリントにもしていなかったのです。
ですから、ブログを始めてからも全然気にしていなく、撮影した当時も159系だとばかり思っていました。

しかし、今になって考えてみれば、159系は中京地区の修学旅行・派動用としてわずか16両しか製造されていなく、いくら関東で車両が足りないと言っても、まさか11両と言う半端な両数を借り入れるわけもありませんので、これは間違いなく155系の修学旅行色時代であるのだと確信したのです。
昭和52年以降、一眼レフを使うようになってから撮影したものはすべて湘南色であることから、この修学旅行色の155系もちょうど終焉を迎えた最期の頃だったようです。

155系型電車については、湘南色時代を含め、いずれ『マル鉄・鉄道写真館』でアーカイブいたします。

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2013/3/3  14:33

投稿者:キハ181つばさ
宮オオ様
新潟色の実物は残念ながら実物を見たことが無いので、どの程度印象が似ていたのかは???ですが、両者と阪和色、新快速色などは、当時の車種の割りにバリエーションが単一だった歴史の中では異色の存在でしたね。
165系の最期の頃は湘南色のリバイバル車が登場しましたが、167系は最期の頃にへんな改造がされてしまい、リバイバルに耐えられない容姿になってしまった、そんなことも災いしてしまったのかもしれませんね。

2013/3/3  14:22

投稿者:キハ181つばさ
金太郎様
以前、模型をやっている頃に159系を造り分けようと思ったのですが、意外と厄介なものでした。
ベンチレータですが、159系は東海型、155系は当初はグロベンで、その後東海型のもの(改造?)も存在します。
外観は殆ど区別することが出来ず、決定的な違いは扇風機の数の違いによる屋根上の出っ張り(逃げ)で、個数が違うんです。俯瞰からだと判別が付くと思うのですが、通常の写真の撮り方ではまったく判らないんですよね。
最終的には159系も湘南色になってしまいましたが、正面の塗り分けが異なるなど、最期までかなり個性のある車両でした。

2013/3/2  15:11

投稿者:宮オオ
こんにちは。
往年の新潟ローカルの旧国車両は写真の修学旅行専用電車と
激似の塗色なので、仮りに115が新潟ローカル(旧国バー
ジョン)のリバイバルカラーに身を纏うとなれば、ナンチャ
ッテ修学旅行専用電車塗色になりそうだから話題をまきそう
な感じが致します。
それにしても、21世紀になっても生き残ってた167が身
に纏うことなくリタイアした事は、リバイバルカラーが流行
のこんにちでは不思議な感じがします。
それでは、私はこれにて失礼します。

2013/2/28  12:18

投稿者:金太郎
晩年は153系みたいに湘南色になってしまいましたがやはりこの色ですよね!
155と159の判別はグロベンか東海型かベンチレーターの違いと便所窓の違いでしたっけ?
どちらも屋根の低い角ばった感じで個性的です。
何故冷房化されなかったのか?
低屋根のせいか、それとも結構古いからなのか理由があるんですかね?

2013/2/26  3:08

投稿者:キハ181つばさ
東町三丁目様
「ひので」ですかぁ。私もヘッドマーク付きの修学旅行列車を見てみたかったです。
私は修学旅行が昭和53年ですので、もう既に新幹線になっていました。大量輸送という点でも、新幹線にかなう輸送力のある列車は他にありませんからね。

2013/2/23  18:25

投稿者:東町三丁目
155系といえば私の世代では「ひので号」です。中学校の修学旅行は品川駅からこれに乗り、日中の東海道線を米原まで下りました。もちろん運転室の後ろにかぶりついていました。主要駅ではまだ蒸機が入れ替えをしていました。1969年のことです。

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