鉄道コム

2007/8/16  20:38

451系:急行「つくばね」  その他電車
このところ「列車・車両カタログ(JR・国鉄)」の更新頻度が多くなり、とうとう100回目になってしまいました。掲載写真もそろそろ1000枚に到達しようというところでしょうか。
皆様からのアクセスも大変伸びてきており、1週間の平均でも80件/日くらいになっていそうです。もうすぐ総アクセス数も10,000件に達しそうな勢いです。皆様からのアクセスを励みに益々頑張って行きたいと思いますので、これからも応援のほどよろしくお願いいたします。

今日はチョット地味ネタですが、東北本線経由の勝田行き急行「つくばね」をご紹介したいと思います。

古く辿るとキリが無いので省略いたしますが、昭和43年10月のダイヤ改正において、電車急行としての「つくばね」が誕生しています。
急行「つくばね」は、上野から東北本線を経由し、小山の手前の「間々田駅」から水戸線へ短絡する貨物線をとおり水戸線へ乗り入れ、結城・下館・友部を経由して常磐線「勝田駅」まで運転されていました。途中の結城までは急行ですが、水戸線内〜勝田までは普通列車となっていました。(電車化当初は、下館まで急行運転をしていたようです。)

水戸線は交流電化区間のため、使用車両は451系又は453系です。東北本線の黒磯以遠へ行く急行はすべて451系〜457系で運転されているため、特に注目する車両には見えないのですが、当列車は勝田電車区の車両を使用していたため、東北本線の日暮里〜岩沼間では唯一見られた編成でした。
また、最大の特徴は、当時、大宮を出て最初の急行停車駅である「小山」に到達する前に水戸線へ短絡してしまい、代わりに「間々田」に停車しました。間々田駅の歴史の中でも、急行列車が定期で停車したのは「つくばね」だけでしょう。

「小山駅」を経由しなかった理由としては2つ考えられます。1つは、「小山駅」の東北本線と水戸線のホームの間に貨物ヤードがあり、転線に時間が掛かかり過ぎるため、直通列車としての時間的利点を優先した。2つ目は、小山駅を経由するとスイッチバックになるため、勝田電車区又は上野駅時点で列車の向きが変わってしまう。といったところでしょうか。おそらく、後者の理由の方が大きいと思います。

いつものとおり前置きが長くなってしまいましたが、写真をどうぞ。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和60年1月5日 東北本線 栗橋〜東鷲宮間にて 上り急行「つくばね」

個人的には執着した列車でもありませんし、やはりヘッドマークが付いていないということで、総体として急行列車の写真はあまり撮りませんでした。
「つくばね」は、東北新幹線上野開業を迎えた昭和60年3月に廃止となったため、写真は最末期の頃のものとなります。ヘッドライトのシールドビーム化など魅力も半減していましたが、7両という仙台電車区所属車とは一味違った編成が、勝田電車区の急行「つくばね」であることを主張しています。
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2015/12/5  1:25

投稿者:キハ181つばさ
地元民様
返コメ遅くなりました。
私も401系の初期車が好きでした。ただ、写真を撮れる機会があまりなく、少数ですが撮ったものをリンク先にまとめてありますのでご覧になってみてください。
水戸線への撮影はお召列車が走った時の1度だけであり、既に客車列車は廃止されてしまったと思います。福島の田舎に行くとき、小山駅でEF80が牽引する客車列車を見たような記憶がありますが、あの頃は常磐線にも客車列車が走っていたので珍しいものでもなく、写真も撮ったことがありませんでしたね。
当時はまだグリーン料金は高額でしたが、何故か「つくばね」のグリーン券を見る機会が多かったように思います。常磐線内でもそれほど需要は無かったのではないか?と思いますが、不思議な現象です。金持ちが多かったんですかね?(笑)

http://photo.ap.teacup.com/marutetsu/234.html

2015/11/29  5:36

投稿者:地元民
キハ181つばさ 様

大変に懐かしい急行券、拝見致しました。
貴重な資料をありがとうございます。
この急行券は、鉄道博物館に飾られてもおかしくない位に貴重なものだと思います。
今年の北陸新幹線開業に、来春の北海道新幹線開業。
ドンドン便利になって行く一方で、急行つくばねの様な懐かしい列車が記憶の彼方に行ってしまうのが寂しいですね。

あと、初期の低窓車は、なんかキャラ顔的でほんわかしますね。
客車列車は、水戸線小山発が、
定期列車として昭和55年には、
16:15発であり、客車1両分がはみ出て停車していたのと、
小山駅助役が、無線機にて発車合図を機関士と行っていたのが印象的です。

2015/11/29  0:07

投稿者:キハ181つばさ
地元民様
サハシは絶好の遊び場だったんですが、53・10改正辺りから一気に剥がされてしまい、非常にガッカリしたものです。ゴキブリの遊び場にもなっていそうな業務用室も、検札逃れのために利用したことがありました。
「かわらご」って電車でしたかね?なんか客車だったようなイメージもあるのですが、もしかしたら記憶違いかな?
低窓の元祖は153系で、新性能電車当初のスタイルでした。近郊型では401系が111系よりも先行していたため、初期車はこの低窓スタイルになってしまったんですね。その後は踏切事故対策などの関係で、高窓に切り替わりました。
間々田の急行券はなかったかな・・・下記リンクにつくばね用の自由席グリーン券、さらに記事内リンクで急行券が見られます。参考まで。

http://marutetsu.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post-4d45.html

2015/11/26  19:13

投稿者:地元民
キハ181つばさ 様

詳細なご回答ありがとうございます!
確かに、みんな競ってグリーン車に乗っており、
私はビュッフェのカウンターに乗り、
既に使われていなかった業務用電子レンジなど興味深く見ていたのを思い出しました。

小山短絡線も、既に線路も剥がされて久しく、
間々田駅唯一の急行券を発行していたのもとても良い思い出です。

しょっちゅう利用していて、もっと写真撮っておけば良かったと、悔やまれます。

尚、かわらご号については、低運転台の初期型を見た様な朧げな記憶があり、
東京駅や両国駅の153系低運転台を見て衝撃的だった為、間々田駅で見た時は、とてもびっくりしました。

2015/11/26  18:51

投稿者:キハ181つばさ
地元民様
コメントありがとうございます。
今となっては懐かしい列車ですね。私の青春時代ではごく当たり前の列車で、地味ではありましたが他に類のない特徴がある列車でした。当時は他の撮影で忙しくて構っていられない状況でしたので、今考えればもう少し追っていれば良かったなと思います。
東北本線の455系使用普通列車ですが、夕方と夜に1本ずつの計2本があった筈です。
1本は上野18:52分発の小金井行きで、これは急行で到着した列車がそのまま普通列車として折り返していました。
夕方の便ですが、確かこれも小金井行きで、16時台か17時台だったと記憶しているんですが、折り返し運用ではなかったようで、時刻表からは推測できませんでした。この列車は昭和52年くらいまでサハシが連結されており、私もグリーン車1回、サハシに2回乗った記憶があります。
上野口での夕方には、高崎線の165系使用普通列車もあり、これらはいずれもグリーン車を営業していた列車でした。昭和50年3月ダイヤ改正の合理化により車掌乗務が廃止となり、料金不徴収の豪華列車となったわけです。当時タダで乗れるグリーン車が評判が良く、常連も多く居たようですが、折しも郊外化に伴う中距離通勤者増大に伴い、顕著な遅延を慢性的に発生させていたことから115系に置き換えられてしまい、確か昭和53年10月改正で消滅してしまったと記憶しています。
おそらくは、基地に車両が置ききれないために郊外へ送り返す必要があり、回送をそのまま普通列車へ転用して活用していたものと考えられます。
小金井行きの1本は、翌朝に分割されてさらに北上し、白河・黒磯発の「なすの」として上野口に戻ってくるという運用は有名でした。
簡単に説明するとこんなところでしょうか?

2015/11/26  9:16

投稿者:地元民
スレ主様

昭和52年頃、451系のグリーン車、ビュッフェ車連結と云う珍しい普通電車が上野発で東北線に走っていました。
勿論、グリーン車には頭部白布シートではなく、ビュッフェも非営業でしたが、物珍しさから何時も混雑していて、
特にビュッフェの椅子満席だったのを覚えています。
この列車の詳細を是非お教えください。

2015/11/26  4:22

投稿者:地元民
この急行つくばねは、間々田地元の誇りでした。
何せ小山を通過し、結城へ直行ですから。
昭和55年夏に、落雷で結城〜小山間が不通となり、
東北線で間々田迄行き、間々田から急行つくばねで結城へ誘導していた事もありました。
小山短絡線を通過していた、
夏の海水浴臨時電車 かわらご号も懐かしいです。

2015/2/11  22:58

投稿者:キハ181つばさ
atsushi様
コメントありがとうございます。
当時の情景が甦ってくるような文面ですね。私も上野駅で結構な日数をバイトで携わっていましたが、「つくばね」の時間は上りも下りも閑散時間帯なので、客扱いに当たった記憶がありません。常磐急行と色も同じですから、誤乗はあったかもしれないですね。
53・10まで仙台車を使っていたのは記憶にありませんでした。当時は急行列車自体が地味なので、殆ど写真を撮っていませんでしたからね。まして1日1往復の「つくばね」はこれ1枚しかないと思います。
気になったのは、仙台車の付属編成をどこで切り離していたのか?尾久客車区では電車の専門部隊がいないはずなので、増解結をどうしていたんでしょうかね。多分、どこかにからくりがあるように思います。
もう線路も剥がされてしまっている筈なので、復活は見込めませんね。水戸線乗り入れの臨時列車と言うのも様々ありましたが、若い世代の方には想像もつかないことでしょう。

2015/2/11  19:33

投稿者:atsushi
私は両親が下館出身で帰省のとき、何度か「つくばね」乗車しました。小山での乗換えることなく便利でしたね。特に夏休みは下館に到着する時間帯は丁度、涼しくなる頃でいい電車でした。
初めて乗車したときは、まだ「下館」まで急行運用で「川島」を通過する時は軽快でした。
また、上野発車待ちの車内アナウンスで「この電車は東北本線、間々田経由の勝田行、急行つくばねです。間々田か先水戸線に入ります。小山には行きません。水戸、勝田方面お急ぎのお客様、17:XX発、10番線から発車します急行ときわXX号にご乗車願います」と幾度なく聞かされました。
この電車は水戸線の通学のに時間帯あわせてダイヤが組まれていて東北新幹線が上野開業で廃止になってしまったのが残念です。

「つくばね」の編成ですが、
S43.10に電車急行に置き換えられ
S43.10〜S53.10まで
455系、クハ+モハ+クモハ+サロ+モハ+クモハで仙台区の「まつしま」+「ばんだい」の「ばんだい」6両編成が運行していました。
S53.10の改正で、東北本線、常磐線の特急・急行列車の大規模編成替えが行われ際、
勝田区に移管されの「ときわ」の7編成部分(クハ+サロ+モハ+クモハ + サハ+モハ+クモハ)になりました。 


2012/12/5  4:14

投稿者:キハ181つばさ
袖将@墨田棋楽会様
コメント&ご指摘ありがとうございます。
「つくばね」は異色の定期急行列車でしたが、この時代は「かわらご」などの風物詩のような列車もありましたね。それらの写真を撮っていなかったのは勿体無かったです。
「つくばね」は気動車時代に真岡行きを併結していたようで、その記事の印象が強かったので間違って打ち込んでしまったようです。経由しようがありませんからねw

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