鉄道コム

2016/8/19  1:10

残念な夕張支線の廃止  写真無しの情報など
こんばんわ。
ご無沙汰しておりました。

数々の病魔に襲われながらも、何とか生きております。またもや襲われている予感がしているので、意気消沈しているところでもありますが、今年は人生最大の難関にぶち当たっている感じです。

表題の石勝線夕張支線の廃止・・・なんとも驚きのニュースが飛び込んできました。皆さんも既にご承知かと思います。

財政再建団体に陥って久しい夕張市が、地域再建のために打って出た驚きの提案でした。
従来のローカル線廃止論争は、「如何にして鉄道を存続させるか」しか争いが無かった訳ですが、今回は全くその逆、「鉄道を廃止する代わりに地域振興への協力を求める」という、今までにない発想です。
これについては、赤字ローカル線を無くしたいJR北海道としても願ったりかなったりということで、即合意に結びついたとのことです。


時代の流れの中で、仕方のないことでしょう。JR北海道発足時の1割にまで利用者が減ってしまったとは・・・。


ただ残念なのは、私にとって思い出の路線であったこと。

高校1年の春休み、初めての北海道旅行の舞台となった場所。
上野から急行「津軽」に乗り、青函連絡船、急行「すずらん」と乗り継いで、苫小牧へ。
夜中の苫小牧で乗り継ぎ下車、始発の直通夕張行き普通列車に乗り、初めての目的地が夕張駅でした。

当時、未だ石勝線は開通しておらず、室蘭本線から追分で国鉄夕張線へと転進、紅葉山駅(現新夕張駅)で登川支線と別れ、夕張駅へと到着します。当時はこの夕張行きが夕張線の本線でした。
この時代、炭鉱は既に機能しておらず、寂しい街になってしまっていたようで、3両編成のキハ22の乗客も全車両で3人くらいしか乗っていないという状況だったと記憶しています。

始発列車は、終点の夕張で小休止の後、直ぐに折り返してしまうため、殆ど何もすることなく別れを告げることになりました。本来の目的は、清水沢での三菱石炭鉱業大夕張鉄道の撮影だったため、夕張へは乗り鉄でしか無かったということにもなりますが・・・なので、夕張駅での写真も1枚も撮っていませんでした。

初めて北海道へ渡道して以来、その後もさらに10回ほど渡道していますが、夕張に訪れる機会はありませんでした。

現在もまだ厳しい状況の夕張市ですが、応援ツアーなどもあるようで多くの人が訪れているようです。しかし、現実は内地から千歳空港等を経由し、バスで現地入りしているようで、不便な石勝線夕張支線を利用する人はほぼ皆無ではないでしょうか?

もし時間と金があれば、思い出の夕張線にもう一度乗って訪問したい・・・なんて思いますが、今の生活を考えると、廃止までにそれが実現することはなさそうです。

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