2007/12/10 0:40
EF58151(工臨・くつろぎetc.) EF58のアルバム
今日は5日ぶりにゴハチシリーズで、宇都宮運転所の151号機をご紹介したいと思います。
151号機は、昭和33年3月18日生まれの東芝製。晩年は宇都宮区の標準スタイルで、全面Hゴム窓のヨロイ戸形エアフィルタ、PS15パンタグラフを搭載しています。
また、宇都宮車ですので、デフロスタ装備です。
そして、この151号機は、141号と同様に宮原区→宇都宮区と、移動が極端に少なかったカマです。
では、151号機が活躍していた頃のシーンをどうぞ。

昭和57年10月頃 東北本線 尾久駅にて 12系回送を牽く151号機
この写真でも既に晩年の頃ですので、「津軽」「八甲田」を除いては既に定期運用はなく、専ら団体列車や多客臨の牽引が主な仕事でした。

昭和57年10月頃 東北本線 東大宮〜土呂間にて 「くつろぎ」を牽引する151号機
高崎局のお座敷列車「くつろぎ」を牽引する151号機。両毛線の伊勢崎や佐野あたりから小山経由で団臨が運転されることもあり、宇都宮区のカマが高崎の車両を牽引する姿もしばしば見ることがありました。
12系オリジナル色ではないお座敷列車としてデビューした「くつろぎ」。当時としては斬新なアイディアだったかもしれませんが、後発の12系お座敷列車が派手な塗装でデビューする中では、非常に地味な塗装でした。この後、内装リニューアルとともに、茶色をベースとした少し垢抜けた塗色に変更になりました。現在は、一部が横川で保存されています。

昭和59年10月18日 東北本線 宇都宮駅にて ホキ800を牽引する151号機工臨
宇都宮駅から日光線へ向け、夜間にレール輸送を行った際に起用された151号機。
当時、貨車を牽くゴハチは全国的にも大変珍しかったため、局報(部内報)に運用を見つけたときには大変驚いたものです。勤務が非番の日だったため、このためにわざわざASA1600(現ISO1600)を買って出掛けて行きました。
中線から出発と思いきや、ホームでないところから出発してきたため、走行写真になってしまいましたが、そこはさすがにASA1600、見事にストロボ無しで止めてくれました。しかし、画像が大荒れでガックリしましたけど・・・。

昭和60年1月5日 東北本線 古河〜栗橋間にて 荷物列車を牽引する151号機
EF58が活躍する最晩年のシーン。高崎二区のゴハチ撤退により、宇都宮区のカマが荷物列車を牽引するようになりました。荷物輸送の事業も斜陽化し、ご覧のとおり連結両数も非常に寂しくなっています。
宇都宮区の最後の精鋭として活躍してきた151号機ですが、全廃を前にした検査で台車か台枠に亀裂が見つかり、僚機が最後の活躍を続ける中惜しくも運用離脱、一足早く休車→廃車になったと記憶しています。
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151号機は、昭和33年3月18日生まれの東芝製。晩年は宇都宮区の標準スタイルで、全面Hゴム窓のヨロイ戸形エアフィルタ、PS15パンタグラフを搭載しています。
また、宇都宮車ですので、デフロスタ装備です。
そして、この151号機は、141号と同様に宮原区→宇都宮区と、移動が極端に少なかったカマです。
では、151号機が活躍していた頃のシーンをどうぞ。

昭和57年10月頃 東北本線 尾久駅にて 12系回送を牽く151号機
この写真でも既に晩年の頃ですので、「津軽」「八甲田」を除いては既に定期運用はなく、専ら団体列車や多客臨の牽引が主な仕事でした。

昭和57年10月頃 東北本線 東大宮〜土呂間にて 「くつろぎ」を牽引する151号機
高崎局のお座敷列車「くつろぎ」を牽引する151号機。両毛線の伊勢崎や佐野あたりから小山経由で団臨が運転されることもあり、宇都宮区のカマが高崎の車両を牽引する姿もしばしば見ることがありました。
12系オリジナル色ではないお座敷列車としてデビューした「くつろぎ」。当時としては斬新なアイディアだったかもしれませんが、後発の12系お座敷列車が派手な塗装でデビューする中では、非常に地味な塗装でした。この後、内装リニューアルとともに、茶色をベースとした少し垢抜けた塗色に変更になりました。現在は、一部が横川で保存されています。

昭和59年10月18日 東北本線 宇都宮駅にて ホキ800を牽引する151号機工臨
宇都宮駅から日光線へ向け、夜間にレール輸送を行った際に起用された151号機。
当時、貨車を牽くゴハチは全国的にも大変珍しかったため、局報(部内報)に運用を見つけたときには大変驚いたものです。勤務が非番の日だったため、このためにわざわざASA1600(現ISO1600)を買って出掛けて行きました。
中線から出発と思いきや、ホームでないところから出発してきたため、走行写真になってしまいましたが、そこはさすがにASA1600、見事にストロボ無しで止めてくれました。しかし、画像が大荒れでガックリしましたけど・・・。

昭和60年1月5日 東北本線 古河〜栗橋間にて 荷物列車を牽引する151号機
EF58が活躍する最晩年のシーン。高崎二区のゴハチ撤退により、宇都宮区のカマが荷物列車を牽引するようになりました。荷物輸送の事業も斜陽化し、ご覧のとおり連結両数も非常に寂しくなっています。
宇都宮区の最後の精鋭として活躍してきた151号機ですが、全廃を前にした検査で台車か台枠に亀裂が見つかり、僚機が最後の活躍を続ける中惜しくも運用離脱、一足早く休車→廃車になったと記憶しています。

2009/5/5 23:50
投稿者:キハ181つばさ
2009/5/5 22:23
投稿者:シービー
151号機も何枚か撮った覚えがあります。
ASA1600のフィルムは使ったことがありません。
400までしか使った事がないのですが、確かに暗さには強そうですね。
拡大してみましたが、確かに荒れてますが撮れるというのは強みになります。
ASA1600のフィルムは使ったことがありません。
400までしか使った事がないのですが、確かに暗さには強そうですね。
拡大してみましたが、確かに荒れてますが撮れるというのは強みになります。
2007/12/10 23:51
投稿者:キハ181つばさ
金太郎様
確かに、宇都宮のカマはフィルタやパンタが原形のものがいましたし、私が中学生の頃は原形小窓車もいたくらいですからね。
でも、原形大窓とか憧れましたね。あと、若番車も。
そういった意味では、関西を羨ましく思ったこともありました。
確かに、宇都宮のカマはフィルタやパンタが原形のものがいましたし、私が中学生の頃は原形小窓車もいたくらいですからね。
でも、原形大窓とか憧れましたね。あと、若番車も。
そういった意味では、関西を羨ましく思ったこともありました。
2007/12/10 23:37
投稿者:金太郎
関東のカマは比較的原形をとどめた美しいゴハチが多かったですね。西のゴハチは広島を筆頭に・・・。ゴハチを撮影する環境には恵まれていたのでは。151も綺麗ですね。
当時としては脅威の感度ですが、その当時としても正直なところ『見れたもんじゃない』という感じです。ブログのデータだと元々の鮮度が落ちるので分かりにくいですが、普通のISO400の写真と見比べると、気の毒になるくらいの粗れかたです。まあ、出来るだけ使うもんではありませんが、このように過酷な条件でどうしてもとりたい場合には、まったく撮れないより良い、ってところでしょうね。