鉄道コム

2008/7/14  0:50

キハ58系 急行「いいで」・「ざおう」  特急型気動車
こんばんわ。
日が変わって月曜日、仕事も忙しくなってきたのでまた憂鬱な1週間の始まりです。

さて、私の母親の実家が福島県で、最寄(といってもかなり遠い)駅が東北本線の須賀川駅であることは以前から何回かご紹介したところですが、小学生の頃(昭和40年代)は急行列車を多用していたので、架線下を行くDC急行「いいで」・「ざおう」に1回か2回乗ったことがあります。

当時の東北本線急行事情と言えば、「まつしま」「あづま」「いわて」といった本線系急行に、「ばんだい」「ざおう」といった枝線系を併結した455系列の急行が一般的で、臨時を除けば電車化・オール冷房化が当たり前でした。
しかし、定期急行の中でも2往復、秋田行急行「おが1号」と「いいで」・「ざおう」がDC急行のまま残っていました。キハ58系はグリーン車を除いて非冷房が基本でしたので、同じ急行料金を払う上では、夏場の格差は否めませんでした。

当時、ヘッドマークも付かない急行列車ですから、花形の特急列車に比べて写真に撮っている枚数は圧倒的に少ないですが、辛うじて撮影したものが見つかりましたのでご紹介したいと思います。


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昭和56年8月頃 東北本線 赤羽駅にて 

赤羽駅に侵入する下り「いいで」・「ざおう」。もちろん高架化工事などの発想は微塵も無い頃です。バックに見える土手は京浜東北線。右側にチラッと見えているのは貨物線です。


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昭和57年1月4日 東北本線 白坂駅にて

白坂駅の客扱い線で「やまびこ3号」を退避する下り「いいで」・「ざおう」。
急行はこの白坂駅では客扱いが無いので、退避停車はしますが通過扱いなのでドアは開きません。編成が長すぎて、最後部がはみ出してしまっているのもご愛嬌ですね。
写真は、今まさに「やまびこ3号」が追い越しに掛かった瞬間を捉えたものです。


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昭和57年1月4日 東北本線内

この写真は、黒田原〜白坂間における撮影から、磐西・只見線経由で水上へ異動する際の行程で出合った上りの「いいで」・「ざおう」。偶然にも1日で上下の同列車を捉えました。
旧客による普通列車の窓からの撮影で、風景からしておそらく白河〜矢吹の間くらいだと思います。


「いいで」は喜多方までと新津〜新潟間、「ざおう」は全線にわたって架線の下を走ります。ある意味新幹線開業まで良くディーゼルのまま残っていたと言う印象ですね。
ヘッドマークも無く、非冷房でもあるため普通列車とすら区別が付きづらいところですが、12両という長大な編成と、1両(昭和40年代は2両)連結されたグリーン車が急行列車であることを主張していました。
時代に遅れても頑張っていたDC急行「いいで」・「ざおう」ですが、昭和57年11月、上越新幹線の開業とともにその使命に幕を閉じました。


過去ログでキハ58系修学旅行色の特集を組んでいます。こちらにも駄写真が載っておりますので、ご覧になっていない方は是非どうぞ! → http://diary.jp.aol.com/marutetsu/631.html

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2015/5/3  0:53

投稿者:キハ181つばさ
1972様
文字数の制限がありますので雑駁にお答えいたします。
昭和40年代末期から東北新幹線の大宮開業となる昭和57年まで、上野口から東北本線へは3往復の気動車急行が残っていました。
上野7:03発秋田行”急行「おが」http://photo.ap.teacup.com/marutetsu/139.html”、上野7:06発新潟(磐越西線経由)行・山形行”急行いいで・ざおうhttp://photo.ap.teacup.com/marutetsu/103.html”が昼間に見ることが出来るスジで、上りは夜着、さらに奥羽本線経由酒田行急行「出羽」がありましたが、23時発5時着ですので、子供が見られる時間ではありませんでした。
この記事でもリンクが貼ってあるとおりですが、再編集したもののリンクを貼っておきましたのでご覧になってください。もう少し詳しく編集してあります。
また、車体色についてですが、標準の急行色はクリームに赤帯となっており、黄色に赤帯は”修学旅行用キハ58http://photo.ap.teacup.com/marutetsu/428.html”を指しているものと思われ、これについてもこのリンク先に事情を説明しています。塗装の標準化で昭和53年か54年頃には消滅してしまったと思われます。
編成は「おが1号」が9両、「いいで」「ざおう」が7+5の12両、「出羽」が10両(季節で+2両)となっており、今でこそ長い編成と言えますが、当時としては本線の標準、またはやや短い編成となっていました。

2015/5/1  1:35

投稿者:1972
初めてコメントします。
赤羽生まれですが、
幼稚園の帰り、西口駅前のバスから、何度か、
DC車両を見た記憶がずっと離れませんでした。
今回、ふと調べてみて、もしかしたら、その記憶の断片を紐解いていただけるかと思いコメントしました。

当時、1976か1977もしかしたら1978かも知れません。
高架はおろか新幹線の発想すらない幼稚園に通ってた頃、駅の踏切には、
とき、あさま、白山、はくつる、ひばり、はくたか、やまばと、やまびこ、白根、そよかぜ、新雪、
急行車両も、湘南色、紫とクリーム色の車両がたくさん走ってました。
ただ、客車車両は、一度だけ、高崎線のやつに乗った記憶があるくらい。
その中で、ディーゼル車の黄色かクリーム色の車両と、朱色とクリーム色の混成編成の車両の記憶があります。
近くで見たわけではなく、西口崖下から発着するバスの窓から見ました(今では新幹線の高架が陰になり何も見えませんが…)。
幼いころの記憶、そして遠くから見た記憶なので、
あいまいと言えば其れまでなのですが、
当時の電化されてた赤羽に写真でしか見た事の無いディーゼル車が走ってた記憶がとても残っています。
結構長い編成だったと記憶してます。
一日に何回か走ってたのか、それはわかりません。
幼稚園から帰る時間にたまたま見ただけなのですが、
それが何時くらいなのか、はっきりとはわかりません。
もし、ここに記載されてる「いいで」号なのか、それすらはっきりわかりません。

知識のある方、その時代をより詳しくご存知の方と思い質問的なコメントを差し上げた次第です。
ぜひ、ご指南いただければと思います。
よろしくお願いします。

2008/7/16  23:00

投稿者:キハ181つばさ
line様
編成からの分析は難しいかもしれません。むしろ、前後を撮った特急とかで時間から特定できるかもしれませんよ。なんせ1日2往復しかありませんから。
そういえば、キハ181の補機付きは話題になりますが、キハ58系はどうだったのでしょうかね。急行では見たことが無いのですが、臨時のキハが坂を下っていく写真は1枚持っています。
キハ65も500番代の寒冷地仕様があったのですがね。何故か東北急行には投入されませんでした。最後は暖かいところで働いていた筈です。

2008/7/16  20:47

投稿者:line
白坂の鉄橋で撮ってるのですが、編成が全部入って無いので愛称が特定できないのです。
板谷峠も補機無しで登ってたんですよね。さぞ時間がかかったでしょう。夏場のオーバーヒートとか無かったのでしょうかね。
この辺の列車もキハ65を突っ込めば冷房化も出来たかも知れませんな。

2008/7/15  0:11

投稿者:キハ181つばさ
swallow angel様
Wポチども!
小学生の頃、この列車に乗ってみたものの、「いいで」の意味は分かりませんでした。「飯豊」とかいたら「いいで」と読める人は激減してしまうでしょうし、ジモティーや地理に詳しい人しか受け付けがたい名称ですね。
広田さんと比べたら罰が当たっちゃいますよ。多少トリミングはしたと思いますが、すれ違いで良くこのタイミングで撮りましたね。後まで抜けてるし。すれ違いでは160km/hくらいのスピードですからね。
でも、言わなきゃ列車名すら分からないのが残念です。

2008/7/15  0:01

投稿者:キハ181つばさ
金太郎様
1枚目の先頭は冷房準備車ですね。このタイプの車両はあまり写真に撮っていなかったような気がします。
東北のキハ58系は終焉まで殆ど非冷房車でしたね。昔は普通列車が追い越し待ちでやたら遅かったので、急行と言うだけでも料金を払う価値があったのでしょうな。
急行「奥只見」、残念ながら乗っていません。冬期は長期間運休だったような気がします。

2008/7/14  23:33

投稿者:キハ181つばさ
シービー様
「おが」も忘れないでチョー!
気動車も12両編成と言うのは壮観ですね。見ている分には。メチャクチャ揺れるんですよ。と言うか、跳ねるといったほうが正しいかもしれません。
小山駅の下り方で、貨物のポイントが合流してくる辺り、テーブルに置いていた駅弁が跳ねるんです。やはり空気バネのほうが良いですな、はっはっはっ。

2008/7/14  22:11

投稿者:swallow angel
車窓から首を出して撮った写真「いいで」すね。
ぴったりはまった対向車のバックには吾妻連峰でしょうか。広田さん真っ青の作品ではないかと。
いいでは漢字で書くと「飯豊」、まさか飯豊連峰の麓出身の嫁をもらうとは、この頃予想だにしませんでした。
平日に戻ったらWポチでぃ!

2008/7/14  21:26

投稿者:金太郎
前面を見れば確かに見事な非冷房ですね。冷房用のソケットがありませんね。キハ581500番も準備工事のようで。昭和56、57年頃は臨時を含め客車急行も12系化が進んでいた頃でしょうし、完全冷房の常磐のときわ・奥久慈とも格差がありますね。勾配の為編成にキハ28が増やせないとか、普通と共通運用の為とか色々言われてたようですが。遅かれ早かれ特急化するか、新幹線開通が前提で需給バランスとかもあったんでしょうかね。冷房無しで有料でもさほど文句を言われないある意味いい時代だったんですかね。
只見線ということはまさか、貴重な急行奥只見あたりに乗車したのでは?

2008/7/14  16:29

投稿者:シービー
上野発着では「つばさ」が電車化されて気動車は「いいで・ざおう」だけでしたね。
自分も撮っている枚数は少なくて、来たから撮るっていう感じでした。
ない物ねだりじゃないですが、上野から両列車で終点まで乗ってみたかったです。

気動車万歳のポチ。

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