Dr. MataYan の独り言・・・日本文化の心理学と家族療法

Dr. MataYanが日ごろ感じた、色々なことについて書き記すものです。色々とコメントがいただければうれしいです。Since 17 July 2004

 

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投稿者:雪
先日フジテレビで「給食費を払わない親達」という特集をやってました。
給食費を払う余裕のない家庭がやるならまだしも(よくないけど)まったく余裕がある家庭の母親がわざと払わないんですって。
理由は「義務教育だから。国の義務なんだから私たちが払うのはおかしい」とのこと。
はぁ??って感じでした^^;
義務教育の意味を履き違えているんですね。
憲法で「教育の義務」が定められていますが、これは保護者が子を育てるのに教育を受けさせる義務が発生するという意味であります。

第二十六条【教育を受ける権利、教育の義務、義務教育の無償】
1  すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

これは教育を無償とする意味で、実質、子を育てる責任は保護者にあるという意味ですよね。

教育と食事はまったく別物です。
せこいと言うかなんと言うか・・・

この支払わない親達のせいで、給食費用が圧迫され、給食が段々質素になっていき、子供達の給食嫌いがますます増えるんです。
他の子供達が迷惑するんです。
何とも・・・言葉がでません^^;

この国の迷走時代ですねぇ・・・
将来が不安です。
投稿者:工藤隆樹
「AZ@笑香」さんのおかげで、富山でのやり取りがわかりました。私の立場からは当然手を合わせて欲しいのですが、食事の時に「いただきます」の言葉だけは残して欲しいし、残すべきだと思います。30歳半ばに京都の仏教大学に入学しました。その時学食でめにしたのは、若者が合掌して「いただきます」と声に出して昼食を摂る姿でした。私は深く恥じ入りました。
学校給食でも自宅でも、「いただきます」と言っていましたが、手を合わせていませんでした。教育現場では「手を合わせる」のはそれぞれの家庭教育に任せるとして、せめて「いただきます」いうことをやめなければ、私のように大人になってから本当の意味と意義にたどりつける可能性があります。
投稿者:AZ@笑香
先生、こちらでもこんにちは。
この記事は、私も何処かで読んで「おかしい(変)」と思いました。
毎日の生活で、農家の方や酪農の方に感謝、まして万物の命に対する感謝・・・とまでは、なかなか思い至りませんが、この記事では「え?給食のおばさんへの感謝は?栄養士のお姉さんへは?給食費を払っている親への感謝は?」というのは思いました。

英語では「行ってきます」「お帰りなさい」という挨拶の言葉が無いと子供の頃に習ったのですが「いただきます」は英語で何と言うのかな?と思い検索してみました。
すると、このような記事に出会いました http://www.geocities.jp/kagawaschool/osettai4.htm
「(命を)戴きます」という日本人の伝統的な意味合いが仏教に深く関わる行為のため、宗教行為を学校に持ち込むのはよろしくない、というクレームがPTAの一部から出たという内容です。これまたおかしな話です。
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