通常のカウンセリングでは、カウンセラーはクライエント(相談者、来談者)の言うことに対し、傾聴、共感することが行われる。クライエント自身が話していく中で、問題に自分で気付くことが大切であるとされ、カウンセラーはそれを支援するものとされる。
ところがMataYanでは、通常では、クライエントが抱えている人間関係上の問題を共通認識した以降は、カウンセラー(MataYanでは「カウンセラー」とは呼ばないほうがよいかもしれない。というのは、誤解を生みやすいからだ)のほうが、いろいろと話をすることが多い。もちろん、聞くべきところはちゃんと聞かねばならないことは言うまでもない。
ユタなどの霊能者?の場合でも、話をしているのは相談者ではなくユタのほうであるのが普通である。これは、まるで、従来のカウンセリングとは逆転しているといって良い。この違いは難なのだろうか。
従来のカウンセリングでは、クライエント自身が問題に気付く必要があるとされる。ところがMataYanでは、クライエントが抱える問題に対しては、すでに解決法が存在するものという立場に立っている。クライエントはその解決法を教わりに来る、ということなのである。その解決法を実践するために必要な心構えなどを教わるため、したがって、カウンセラーの側からの話が大部分を占めることになるわけだ。
MataYanにおいては、クライエントに問題解決法を伝授するとき、クライエントが「なるほど!」「へえ!!!」「そうなんだ!」とうなづくような、そんな内容の話ができることが重要である。そのようなことができると、クライエントとの信頼関係は一気に形成される。従来のカウンセリングのような徐々に信頼関係が形成される、というのとはだいぶ異なるものである。
以上のようなことは、第23回日本心理臨床学会大会(於・東京国際大学、埼玉県川越市)にて発表された、拙題「日本文化に基づく心理療法の提唱」の講演過程において特に実感された。2時間の発表時間が割り当てられているので、ゆったりと話せるのであるが、終了後には、聴衆から「まるで我々のほうがある意味カウンセリングを受けているような気分になった」という御意見が聴衆から出たのである。
実際のところ、従来のカウンセリングとは全く正反対の方向であるMataYan心理学の実践は、ある意味、心理学会などでの発表においてはかなりヒヤヒヤものである。しかし今回の発表は、そのような方法もありうるということが確認されるよい機会であったといえる。
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