最近は 講演会等の依頼を受ける事が多くなりました。
先日も あるグループからお話がありました。
音楽等を通して、いろいろな良い事をしていると言う事でした。
音楽でも良いし、講演でも良いし、サロンでも良い、何でも良いので是非と言われました。
何でも良いと言われるのが一番困ります。
おんぶに抱っこと感じます。
私に何を求めているのでしょうか?
音楽なら ミュージシャンにギャラが必要ですと申しました。
サロンなら 何をテーマにして欲しいか、ブログを読んでテーマをくださいと手紙を書きました。
早速お返事が来ました。キャンセルです。
本当に最近 その手の事が多いので悲しくなります。
二つ問題があります。
一つは お金の事。
自分たちも手弁当でしているのだから・・・・・と 暗にその協力を求められます。
今までで、一番びっくりしたのは 東京での講演依頼なのにギャラが交通費込みで15000円。
びっくりしました。
行ったら帰って来れません。
いくらなんでも交通費は 出してもらえるかと思いましたが・・・・・。
その時は 間に入っている人の切実な思いが伝わったので、手弁当でサロン形式でさせてもらいました。
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今回の依頼は その切実な思いすら伝わらない話でした。
今回も サロンの提案もしましたが、あちらから「何でも良い」と言われるばかりで テーマどころか、おおざっぱな案すらありません
そうです。
二つ目は なぜ私か?と言う事。
申し訳ないのですが、「是非」と言ってもらっても、その気持ちが感じられませんでした。
もちろんその方々は社会に良い事をしようとしていらっしゃると思います。
けれど、して行くうちに 「する」と言う事が大切になって、中身をしっかりさせる事を疎かにしてしまう事になっていると思うのです。
なぜ、私なのでしょう?
なぜ、何でも良いのでしょう?
今回の事で悲しかったのは、ギャラを要求したから・・・・と言うノリで断られた事です。
私達は手弁当ですと・・・・・。
もし、東京の方々のように 切実な思いが伝わったら、私は手弁当でも手を抜かずにしっかりと努めたいと思っていました。
でも、それが感じられない。
そして、私はお金を要求する嫌な人になってしまった気がして、今日は悲しい日なのです。
色々良い事があったのに、一日の最後に その綺麗な言葉を連ねた手紙のおかげで 悲しい日になったのでした。
こんな事で悲しくなって、情けのない事だなあ。
でもね、メールが来たのです。
とんでもなく美しい富士山の写真が7枚も!
あるレストランのライブで知り合っただけの出会いだったのに、それ以来、ずっと こうしてことあるごとに写真付きメールをくださるのです。
昨年は ライブにもご夫婦でお越し下さいました。
ああ、私はこのような方々に支えられているんだなあ・・・・・そう思いました。
だからね、今日は 温かな気持ちを抱いて眠るのです。
おやすみなさい


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