歌の先生からは「もっとリズム感を」と言われています。
英語の堪能な方からは「英語の言葉の置き方をもっと正しく」と言われています。
分かっているんですよね。多少はね。
でも、本当に難しく思うのは、今歌っている+何か気をつけることを練習すれば・・・・・とはならないということなのです。
つまり、何かをきちんとしようとすると、色々なもののバランスが崩れるのです、自分の中にできあがっているバランスです。
積み上げてきたものです。
それはそれでいいや・・と思えることもありますが、そのバランスが崩れたら、今度は「自分の中で作りたいその歌のイメージ」が崩れていくことがあります。
するともうお手上げです。
やけにガタガタした歌になったり、滑らかじゃなくなったり・・・・・・。
聞いている人はどう思うかわかりません。
ただ、自分の中で、そんな風になると慌てます。
身の置きどころが 分からなくなるから。
私は歌う時に、自分はその歌にある物語を代弁するんだと思っています。
私のことを歌うわけじゃないのでね。
まあ、言ってみたら、映画とかドラマの俳優みたいなものです。
自分じゃ絶対に言わないことを言ったり、しないことをしたりしないと物語は作れません。
で、その演じる人の像を作り、物語を作っているのに、悲しいことに何かに気をつけようと思うと、それが崩れることがあるのですね。
言葉の置く場所も、ある意味リズムなので、要するにリズムに問題があるのですね。
でも、そのリズムをゲットするのはとても難しい。
ただ、リズムの練習をすればいいということじゃない気がするのです、私の場合。
楽器を演奏する人とは違う練習の仕方が必要です。
英語がもっとわかったらうまくいくかしら?
そうかもしれませんね。
そして、ひょっとしたら私の中の音楽の認識が、他の皆さんとちょっとずれているのかもしれません。
ライブの時、よくここには、いつも小さな小さな宿題を出していると書いています。
すぐに乗り越えられそうな小さな宿題です。
その小さな階段を登りながらゆっくり進む・・・・・と言う方法をとっているのですが、一体それで間に合うのかしらね???
何に間に合うのか???
よく分かんないけれど、自分の歩みを歩むしかできないなあ・・・だって、楽しくなくなるんだもん。
さて、一体何度ここにご登場いただいたでしょうか。
「上田信行さん」
彼と三木さんと言うデザイナーとの対談が私の彼との出会いの一番初めです。
「憧れの最近接領域」
この方法を用いています。
憧れに向かって小さな階段を登り続ける。
私ね、真面目な生徒なので、こうして習ったことをコツコツ実践。
山に登るのにいろんなルートがあるように、私のルートもまた、間違いじゃないと思う。
時間がかかりそうですけれどね。
だって、あらお花が綺麗・・・とか、あっちの洞穴を覗きたいとか、寄り道が多そうですもんね。
しかもできるだけなだらかな道を通ろうとするしね。
でも、到達すること以上に、どんな風に歩くかってことが大切みたいです、私には。
こうしてブログに色々書くのって大切ですね。
自分の中でぼんやりした思いが言葉になることで、ある意味、それがその一つの階段に生まれ変わって、しっかり私を支えてくれるような気がします。
言葉を与えるとしっかりする。
そして皆さん、読んでくださってありがとうございます

マイペースですが、頑張ります。

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