朝風呂の俳句、一応作ったのですが・・・・・。
難しかった。
と言うのも、朝風呂と言っても私は自分の家のお風呂しか想定できずないのですよね。
すると、狭い空間に入り込むことになり、いろんな季語を持ってきても、なんか不自然なのです。
狭い空間でしかもお風呂となるとねえ、周りに季節を感じるものがないのです。
俳句を作る人たちは「発想を飛ばす」と言うことがお好きですし、季語とそのほかの部分とがあまりにもぴったりしていると、普通すぎて、みんなの心を動かすことができません。
けれど、時々私はついていけないことがあります。
それは「発想を飛ばす」とか「思いがけない組み合わせ」が 全然ピンとこない時です。
これはもう感性とか、その人の経験とかによっていると思うので議論することもできないかと思うのですけれど、時々、なんでそんなに面白く思えるのか聞いてみたくなる事があります。
さて、それで朝風呂。
句会に出すまでは、ここには書きませんけれど、そんなわけで、お風呂に入っていても季節を感じられる瞬間とか事柄を思いつこうとしたわけです。
で、いろいろ考えて作りました。
・・・ああ、そうか・・・・。
これが大切なんだね・・と思いました。
何かでピンときて、書きたいと思った→ そのまま書くと当たり前になったり説明的になってダサい→ どうしたら生き生きした句になるか考える→ 何かを捨てる→ 一番言いたい芯の部分だけ残す・・・・という作業ですね。
芯の部分と書きましたけれど、それは芯というよりピンと来たその瞬間に感じたイメージという感じかもしれません。
それも、言葉になっていない。
それを17文字に置き換える・・・・・それが俳句なのかもしれません。
いいえ、そんなんじゃない、みんながしているのはどこか言葉遊び的なところもあります。
「遊び」が苦手な私はそれができません。
というか、言葉だけを見つめて、それを素材に遊ぶというところ魅力を感じない。
私は、いつも変わらないなあ・・・・、結局、私は自分の感性がどれだけ自由になって、私の言葉に置き換えることができるかに興味があるだけなんだな。
やれやれ、こんなところにも、私の頑固さが出てきちゃっています。
私にとって言葉は、本当に手強いもののようですね。

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