稔典さんが今日の
「窓」と「窓」で、山折哲雄さんの言葉を紹介しています。
「剽窃ということばと行為を復権させてもいいのではないか」
私は「剽窃」という言葉を知りませんでした。
「他人の文章・語句・説などをぬすんで使うこと」だそうで、それを復権させようという考えですね。
稔典さんは続けて「賛成です。大いなる剽窃は常に大いなる創造でした。いや、大いなる創造は常に大いなる剽窃でした。」と書かれて居ます。
山折さんと稔典さんは どの程度のどのような使われ方についておっしゃっているのでしょうね。
このお二人がおっしゃるのですから、その言葉の向こうには広大な豊かな土地が広がっているのだと思うのですけれど・・・・・。
私はものづくりをしているので、これをものづくり世界のこととして考えてしまいます。
ものづくりにおいても同様のことがたくさんたくさんあります。
誰かが画期的なデザインのものを発表すると、類似品が山のように登場します。
平気で全くのコピーを出してくることもあれば、法に触れない程度に変えて製品を作っている場合もあります。
コピー品、偽物となんらかのものに触発されていいものを作った・・・・・というのとどう違うのでしょう?
難しい線引きです。
結局のところ、少なくともものづくりにおいては、それが利益と直接的に結びついているから、単純ですが、ドロドロして居ます。
権利問題になり、裁判になったりもして居ます。
私たちも、自分たちで生み出したものをそっくり真似されたり、似たようなものを作られたことが何度かあります。
父の時代からの取引先が作っていた時は、さすがに驚き、ガックリきました。
グッドデザイン賞までとったものを、新製品の紹介で持っていった時「いいものはいらんねん、安いもの持ってこい」と言われたのです。
数年経って売れると思ったのか、今度はそれのコピー品を作って居たんですもの、がっかりしますでしょう?
そんな話をすると私たちを心配して、意匠登録を取らなくちゃとか、特許をという話をしてくださる方がいるのですが、とったところで裁判をするほどの気力もないので、一応意匠登録はとりますが、争うことはほぼありません。
その時間と労力とお金を、次の新製品作りに使いたいと思うのです。なにせ、大企業じゃないので担当部署もなく、何でもかんでも私たちがしないといけないものですから。
けれど、単なるマネの商品は私たちが作った時の「精神」がないので、つまり単に形だけ真似ているので本当につまらないものになっているんです。
それでも「安いのでいいや」って思う方はそれをお買いになるでしょう。
「ちょっと高いけれど、こっちがいい」と思ってくれた方には、その精神が伝わったのだと思うのです。
つまり製品が 私たちの代わりにその精神を代弁してくれているんですよね、楽しいでしょう?
というわけで、それでいいや〜〜と思っているんでしょうね。
稔典さんの「剽窃」についてのお話も、結局のところ「知的財産」という問題に発展するから、より厳しくなっていったのだろうと思います。
昔は「パロディ」というジャンルがありましたけれど、最近はあまり見かけなくなりましたね。
きっとその「知的財産権」問題が厳しくなってからのことだと思います。
私はちょっと寂しい。
稔典さんが どのような気持ちでお書きになったのかわかりませんが、私も「剽窃」と言われるものについて考えてみたいです。
ものづくりと違って、「剽窃」はもっともっと、その世界を広げる可能性も感じますもん。
だから、もう少しその中身を続けて書いて欲しいなあと思っています。
どうでしょうか?
稔典さ〜〜ん。

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