お節は3日間かけて作るのですが、一番最初に作るのは「お魚のテリーヌ」と「鶏肉のパロディーヌ」です。
パロディーヌは ちょっと面倒で気合がいるので、年に一度しか作りません。
テリーヌはさほどでもなく、昨年思いつきで作ったものがとても美味しかったので、今年はテリーヌを色々作りたいと思っています。
テリーヌをFacebookにアップしたとき、色々な人から褒めてもらいました。
レストランみたい・・・とか言ってもらったりね。
でも、ちょっと違うのです、私。
私のはどこまでも家庭料理です。
お節を頑張っているのも、日本の大切な行事で、「我が家の味」「私たちの家の伝統」というものを大切にしたいからです。
しかも、ずっと頑張って働いてきた私にとって、年末にお料理のことしか考えずに済むというこの時間は本当に本当に貴重なリラックスタイムでもありましたし。
皆さんに褒めていただいたテリーヌも、きっとこれもそれぞれの家庭のやり方があって、受け継がれて守られてきたんじゃないかと思ったのです。
日本で言うと、ちらし寿司のようにね。
それぞれの家で使う材料もお味も違います。
ちょっと面倒そうでも作っておくと、お祭りのように忙しいときに、これだけを出しておいたらいいのでとても便利です。
テリーヌもそんな感じです。
多少は面倒そうでも作っておくと、切って出すだけなので、便利ですし、色目とか考えて作ると華やかにもなりますしね。
私のお料理は ホームパーティ用のものが多いです。

先に用意して置けるのでジタバタしないで済む

普段より少し豪華にしたりするだけで、十分パーティ料理になる

教えて・・・と言われたとき、簡単にレシピを話せる。
そんな感じのものばかりです。
今、自粛生活が続き、出前をとったり、テイクアウトをしたり、スーパーに行っても「プロの味の***」と言うようなパスタソースとか、お鍋の出汁とか、色々なものが売られています。
けれど、それらを使うと、家で自分で作るより圧倒的に「ゴミ」が出るのです。
それになんとなく寂しい気がするのです。
家庭料理を否定されているような気がして。
家庭料理の上にプロの料理があると言われている気がして。
プロのお料理は同じ形の同じ大きさでなくてはいけないし、同じ味を守らないといけません。
手間をかけ、他と違う味を出していかなければ、他より美味しくなければ、淘汰されてしまいます。
けれど、家庭は違います。
家庭は家族が憩い、安らぎ、幸せを感じる場所です。
だから、家庭料理はそのようなものでありたいのです。
家族の体調や、気分に合わせられますしね。
ここがとても大切です。
昔、高校生の長男が「スーパーでマグロの頭を安く売ってた」と言って買ってきたことがあります。
その大きさに怯えました。
4人目の赤ちゃんを抱えてヘトヘトの私はちょっと文句ったらしい口調になりました。
「こんな大きいもの、どうしたらいいん?」
息子は「大丈夫、僕がするから」と言って、丁寧にスプーンで身をこそげ取っていました。
全て終わるのに小一時間かかっていたのです


そして、最終「でんぶ」を作ってくれました。
お魚のそぼろですね。
夜のお食事はほぼそれとご飯だけになりました。
けれど、美味しかったこと

美味しかったこと

彼の優しさが調味料でしたしね。
教えたこともないのに、こうして、労を厭わずに作ってくれたことに感動しました。
豪華そうな私のテリーヌも、彼のこのでんぶも、家族の喜ぶ顔のために作ったものです。
このテリーヌはね、末っ子がとってもとっても好きなのです。
これを食べると、幸せそう。
チビくんを抱え孤軍奮闘している彼のため、今年はテリーヌを作りたいと思っています。
豪華でもない、家庭料理のね。
蘇らせよう家庭料理・・と思っています。

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