伊能忠敬・・・と聞くと何を思います?
日本地図を作った人。
私はそれだけの知識しかありませんでした。
ただ、「どうやって作ったのかなあ・・・」とは思って居ましたけれど、そんなことは習わなかったし。
昨日映画
「大河への道」を見てきました。
その伊能忠敬が日本地図を作った時の話です。
ところが、乗っけから「伊能忠敬は日本地図を完成して居ない。なぜなら3年前に死んでいるから」と。
物語は伊能忠敬の資料館のある香取市が、その観光推進のために「伊能忠敬の体がドラマを作ってもらおう」と考えるところから始まります。
それで、脚本家に話をもって行って調べる内に「伊能忠敬は地図を完成して居なかった」ことが分かるのです。
そして、話は200年前の伊能忠敬の死から始まり、当時の人たちが地図を完成するためにその死を隠し、3年かかって地図を仕上げるところを描いて居ます。
どんな風に地図を作ったのか。
びっくりでした。
どうやらその頃には「子午線」という概念が入っていたらしく、その「子午線一度」の距離を知ろうとするのです。
子午線一度の距離を測るために足をコンパスの様に広げて歩きそれを基準に距離を出すというのですから、ただ普通に歩き回るのとは全然違います。
そんんな風にしてコツコツ全国を歩き回って作ったというのです。
17年

しかも伊能忠敬は地図作りを始めたのが55歳。
当時の人ならもう平均寿命を超えるかという様な歳です。
そこからどんな気持ちで・・・と想像は膨らみます。
映画で彼と一緒に地図作りを進めて居た人たちが出てきました。
忠敬が亡くなった後、地図を完成したのはその人たちだったのです。
この物語は落語家立川志の輔さんが 忠敬日本地図の正確さに感動し、その物語を新作落語にして居たそうです。
そしてその新作落語に感動したのが主役の中井貴一。
彼が、それを映画化する企画を提案したそうです。
伊能忠敬の日本地図に感動した人たちがこの映画を作りました。
だから、その感動が伝わってくるのです。
本当に素晴らしい映画でした。
所々にユーモラスな場面があり、それも品がよく、また最後には深く感動させ驚かせてくれました。
エンタテインメントの素晴らしさが根本にある「映画らしい映画」と私は感じました。
ああ、昔の映画にはこのワクワク

があったなあ・・。
エンタテインメントは コロナの様な状況の下では要らないもの扱いされてしまいます。
人の営みを経済や効率や社会がうまく回ることばかりに目がいくとそうなってしまう。
けれど、人はもっともっと違う側面があり、もっともっと「生」でみずみずしく生きている。
そこには、このような映画は本当に大切なものだと思う。
この映画の品格。
それを大切に感じてくれる人が増えて欲しいです。
この映画とこの映画を作った人たちに拍手
昨日も映画館は空いて居ました。
お客様は10名くらい?
もちろん誰もおしゃべりをするわけでもなく 安心です。
このエントリーを読んで、見に行ってくれる人が一人でもいたら本当に嬉しいです。

1