「言葉なんかおぼえるんじゃなかった・・・田村隆一」
つれづれなるままに・・・
田村隆一という詩人が 今また 若い世代に読まれているらしい。
以下は 新聞からの抜粋です。
「言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きていたら
どんなによかったか」
(詩集「言葉のない世界」の「帰途」から)
田村は、詩の一行と一行の間の「深い谷間」について触れて、
読者がそれを跳び越えるか、落ちるか、はい上がるか、そんな詩が書きたい
と記したことがある。
・・・・・・・・・と 新聞に書かれています。
詩の一行と一行の間・・・・と詩人は言います。
でも、どうなんでしょう?
私達は 詩人のように練った言葉を使っていなくても
言葉と言葉の間の深い谷間に ともすると落っこちそうになってしまいませんか?
そんな深い谷間が あたかも存在しないかのように 軽やかに生きていられたら・・・。
もっと爽やかに話せたら・・・。
若いころの私は 絶望的になって「言葉を捨てる」なあんて思いました。
今もって私には、その谷間を 存在しないものとして生きることは出来ない。
でも、田村さん
あなたが背負い続けていた「人という存在の悲惨」を 私はもう背負いたくない。
言葉と言葉のその奥の奥の方にあるエネルギーの出所は
そんなに絶望的ではないと 私は根拠なく信じています。
いいえ、信じていたい・・・としか言えないのかも知れません。
人類は悲惨でしょう。
本能がこんなに失われているのですから。
いったいどこからどこまでを、自分の存在の基を自分で壊していると考えればよいのかすら まったくもって見えていないのですから。
でも、田村さん
私は 力なくも微笑むのです。
その谷間を跳び越えるのは 人類にしか出来ないこと(多分ね!)
つまり 「微笑む」それしかないと思えます。
「微笑む」それは 自分とは違う存在に「Yes」ということ。
言葉を超えて 勇気を持って。
合言葉は 「勇気」
武器は 「微笑み」
言葉の谷間を 跳び越える。

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