言葉という物は 本当に危なっかしい代物だ。
その表面的な事(この場合は 言葉の普遍的な意味)にばかり気を取られて
そのもっと奥に有る一番言いたいことが 分からなくなる事が 結構有ると思う。
例えば 話している人の声が聞き取りにくいと思って もう少し大きな声で話してくださいと言っていても、そうじゃないかもしれないと言う事。
つまり、大きな声で話したら解決するんじゃなくて
もっと明瞭な発音をすれば良いのかもしれないし、
文章を短く 分かり易くすべきなのかもしれないし、
目を見て話すだけで解決するかもしれないと思うの。
つまり その人が一番言いたいのは「私の心に届くように話して」ってことだったりすると思うの。
そう思いつつ、上手く話せないなあって 自分にがっかりしたりする。
自分に正直な言葉より 受け手が受け止めやすく・・・って考えているつもりなのに
時に、話す内容にばかり神経が行ってしまったりするわね。
黙っていても にっこり微笑むだけで 充分なのにね。
一方でね、誰かが発した言葉を 理解しようと心を開いているつもりでも
自分には全くないような思考パターンだったりすると
どうにもこうにも推測さえできない。
話す事の難しさと 受け止める事の難しさを いつも考えてしまうんだ。
だから、ちょっとやそっとのいざこざは しこらずに宇宙に飛ばす!
「そんな事はもう どうでも良いのだ」
届けようとする気持ちと 受け止めようとする気持ちが有れば
現象は 何とかできると思っているんだ。
薄皮まんじゅうの 薄い皮の所だけでいざこざを起こしてても つまんないだけだもん。
そのもっと奥には 甘くておいしい餡が有るのにね!
ええ?? 例えが分かりにくいって?
済みません。
届くように書くのって 難しいわね!!!

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