「アヤカシ奇譚」のDVDが届きまして、暇な時間に、繰り返し観てるのですが...。
泣かされる〜!!
オイラ、DVDで初めて気付いたんだよね。
優の流した「涙」を。
実際に劇場で観た時は、オイラの席は上手の方で、優はその時、ほぼセンターに居たので、丁度オイラからは、「優の背中」を見てる感じだったの。だから、優が泣いてた事に気がつかなくて。
DVDで、優のアップになって、優の目から、ホロっと涙が流れてこぼれ落ちたのを観て、思わず貰い泣き。
ぶっちゃけ、*pnish*を初めて観たのが「モンスターボックス」の前の、亀戸のさんすとライヴでの席だったのね。で、ライヴはダンスとトークの構成で、実際に舞台、として観たのが「モンスターボックス」が初めてだったわけ。
で、モンスターボックスでは、大樹っちゃんは人間だったり妖怪になっちゃったり、先祖の「真田幸村」の役までやってて、正直、
「うわー、大樹さんって、すげえ大変な役をやってるなー」
というのが第一印象で、役が云々ではなく、「*pnish*の芝居は、面白いけど、これは大変だ」というのが最初に思った事で、何と言うか...あまり感動とかね、そういうのは感じなかったんですよ。
でも、客演やon、本公演、プロデュース公演なんかを、ずっと観てきて、初めて泣いたのが「Kiss me you〜がんばったシンプーたちへ」だったかな。「kiss me〜」はぶっちゃけ第二次世界大戦中の負け戦になりはじめた日本の設定で、田舎町でのんびり、そして楽しく暮らしていた若い兵士たちに、突然「特攻」の命令が下って、最後はみんな大空に飛んで、二度と帰って来なかった。そういう話だったんだけど、あの時の舞台で、初めて大樹っちゃんが「本当に泣いている」のを見たんですよね。
あの時は、「今は「佐野大樹」ではなくて、「特攻兵の内田」なんだ」って思った。今でも覚えてる。内田くんには、好きな女の子がいて、特攻の日の前夜に二人で話をするシーンがあって。
「俺さあ...子供の頃、夜中に便所に行くのが怖かったんだ。幽霊に会うんじゃないかって。...でも、俺は明日「幽霊」になるんだよな。そしたら、お前ん家の便所に出てやる」
「えー?家のお便所?!」
「そう、お前ん家の便所に」
「......必ず、出てきてよ...」
「...おう」
「...約束だからね!」
「...おう!!」
それで女の子は走り去ろうとするんだけど、内田が腕を掴んで、最初は離さないんだけど、スっとてを離して、彼女に敬礼するんだけど、その時に、頬に涙が伝ってるのが見えたんだよね。もう、その時点で、会場はほとんどすすり泣く声。オイラも泣いてましたけど。(苦笑)
残念な事に「Kiss me〜」での握手会では、オイラ、ワッシーとしか握手出来なかったんだけど、ワッシーが、オイラの泣いて真っ赤になった目を見て、
「泣いてくれたんだ。ありがとう。また時間があったら観にきてね」
って言われて、そこでまた泣いた。(苦笑)周りも気にせずボロボロ泣きながら、
「明後日、また来る予定です。こんな素敵な舞台に立ち会えた事を、嬉しく思います。...ぶえぇえぇぇ...←ここですでに壊れている。(苦笑)ワッシーが生きてる...ありがとうワッシー!」
「あはは。←完全に困った顔をしていた。 僕は、死なないよ。でも、大空に飛んでいった長谷川くんを忘れないでね」
残念な事に「Kiss me〜」は、カメラが入っていなかったので、DVD化はされていません。あれがDVDになったら、多分、毎日泣いてますよ。(苦笑)
で、「アヤカシ」ですよ。
内容というか、ストーリーは、ほぼ「アニメの世界」とでも言える、まず現実に在り得ない世界なんだけど、大樹っちゃん好みの脚本(「アヤカシ」はD−プロジェクト。大樹っちゃんの初・プロデュース公演)に、TEAM.発砲.B.ZINの主宰、きだつよしさんの構成があって、「大の大人が笑って泣ける、ヒーローもの」になっていましたね。まあ、それが、きださんの率いる「発砲」の売りなところではあるんだけど、大樹っちゃんの脚本ときださんの構成が、すごくバランスが良くて。というか、大樹っちゃんがきださんに凄く可愛がられてるんだけどね。(笑)
でも、何回観ても「アヤカシ」は、刹那さが残るなぁ。(泣)優みたいな真っ直ぐで、ちょっとオバカなんだけど、素直で優しいところが、涙誘うんよね。優が泣いてるシーンで、オイラも泣いてるし。(苦笑)でも一番泣かされたのは、やっぱりラストかな。
優は「人」でも「アヤカシ」でもない、「言霊」と一体化して、大地を鎮め、ハイエナを救い、人の争いも、アヤカシの怒りも、全てを背負って、それでも笑顔で「ピース」して、消えてしまいます。
優にすれば、「人とアヤカシが争わない世界」を作れたから、きっと満足なのかもしれない。でも、ラストに童子が言ってたように、
「私たちは、優に、全てを背負わせてしまったのかもしれない...」
重い代償を背負っても、笑顔で消えた優を見ると、泣けてしまうんよね。切ないなぁ...。あれを「ハッピーエンド」とは、思えないんだよね。優が可哀想で。
「アヤカシ奇譚」が教えてくれたのは「自分の存在意義」。
ハイエナが言ってたように、
「半人前?それが何や?...優は、「優」やろ?例え、作られた存在であっても、自分の意志を持って、「人とアヤカシが争わない世界を作る」気持ちは、変わってないんやろ?」
人は時に、自分を見失う事がある。
でも、「自分の存在意義」、そんなものを思い出させてくれたのは、優だ。
誰も優の代わりは出来ないし、オイラという「人間」も、この世に一人しかいない。自分で自分を信じて、自分の意志を貫く勇気。それは、時雨にも、メグルにも、阿修羅にも言える事で、メグルには「時雨に追いつく」という目標が、時雨には「大人の生き方」、阿修羅には「この世を守る」という意義があった。
何か、泣きながら、
「自分の存在意義ってナンダロウ?オイラは優みたいな真っ直ぐな人間じゃないし...」
多分、死ぬまで「自分の存在意義」ってのは、解らないのかもしれない。
ただ、自分の天寿が来て、死の間際に、
「オイラの人生、いろいろあったけど、けっこう幸せだったよな」
って思いながら死ねるのが、理想かな。
だから、生きてる間に、いろんな事をやって、いろんなものを見て、「心に栄養を与えなきゃ」って思ってます。
病んでるオイラがそう言っても、説得力はないかもしれないけどね。(苦笑)
「泣く」って、いいね。

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