「天皇杯準々決勝 vs FC東京 −お疲れさまでした−」
2011 観戦記
試合終了後にスタジアムの外で笑顔の次期監督と握手をしました (=´ー`)=O=(´ー`=)
個々の頭の中では確かに似たような絵を描いていましたが同じ絵ではなかったと思います。
堀監督のやりたいサッカーを理解し、みんなが同じ絵を描けるようになるには時間がありませんでした。
序盤で暢久が負傷退場となってしまった不運もあり、前半はバタバタしてしまいました。
激しいプレスにも手を焼き、石川選手の豪快なミドルシュートでFC東京に先制を許してしまいました。
後半に入って無理に攻めてこないFC東京をレッズが攻め立てる場面もありましたが、
チャンスになりそうな場面でも最後にミスがでてしまい、最後まで得点することができませんでした。
シュートをするタイミング、パスを出すタイミング、ほんの少しづつズレていたように思いました。
その “ほんの少し” は、練習や試合を通してチームとして身につけていくものだと思います。
少しのズレであっても、11人の選手が少しづつズレていれば最後は大きなズレになってしまいます。
パスがくる、シュートを撃つ、あそこにボールが出る、あそこに誰かが走っている、
みんなの頭の中の絵は似ていたけれど、少しづつ違っていたんだとなぁ…と思いました。
先に失点してしまうと、時間がどんどん少なくなっていくと、焦りが見え始めると、
ゴールに段々近づいていくと、少しづつ少しづつ頭の中に描いているものが違ってきました。
ほんの少しのズレがミスに繋がり、ミスは自信を失わせ描いている絵が少しづつ変わってしまいます。
自信を失ったチームが、再び確固たる自信を取り戻すには絶対的に時間が足りませんでした。
もし、堀監督が今季キャンプから指揮を執っていたら、今はどんなチームになっていたのでしょう。
キャンプから昨年とは全く違ったサッカーに取り組み、現在はまた違ったサッカーをしています。
戦術を理解させる時間も、チームを成熟させ発展させる時間も、堀監督にはありませんでした。
選手は揺れる方針や戦術に必死で対応し、戸惑いながらも出来る限りのことをやり切ったと思います。
方針を変えたことも、自信を失ったことも、同じ絵が描けなくなったことも、
残留するために再び方針を変えたことも、チームを成熟させ発展させる時間が足りないことも、
全部、全部、全部、2011年の浦和レッズが自ら選んだことなのですから誰にも文句は言えません。
どこにも力を入れずにゆったりと、スタジアムで試合を観ていました。
浦和レッズに勝って欲しいと思っていましたが、自分はレッズサポータではありませんでした。
2011年を共に戦ってくれた浦和レッズの選手たちのプレーをただ静かに見守っていました。
浦和レッズの2011年シーズンは今日終わりを告げました。
もう堀監督が指揮を執る浦和レッズを見ることはありません。
浦和レッズのユニホームを着てプレーする堀之内を見ることはできません。
共に戦った何人かの選手は今日が浦和レッズの選手として最後の試合だったかもしれません。
堀監督、ありがとう。堀之内選手、ありがとう。共に戦ってくれた選手たち、ありがとう。
来季、自分がどんなことを考えてスタジアムに足を運ぶのか今は分かりません。
これまで、強いとか、弱いとかを理由にスタジアムに足を運んだことはありませんでした。
ただ浦和レッズが好きだから、自分のクラブだと思えていたから、そこに居たいと思っていました。
2010年から2011年シーズンは、自分の価値観を見つめ直すきっかけになる2年間でした。
自分にとって “浦和レッズ” という存在は何なのか、落ち着いて見つめ直したいと思っています。
共に闘ってくれた全ての大切な仲間に感謝したいと思います (=´ー`)
第91回天皇杯全日本サッカー選手権、準々決勝
FC東京1−0(前半1−0)浦和レッズ
得点者:20分 石川(FC東京)
主審:扇谷健司
2011年12月24日(土)13:04 KO 熊谷スポーツ文化公園陸上競技場 入場者:11,612人

74