それゆえ、もしもある商品の生産に必要な労働時間が不変であるならば、その商品の価値の大きさも不変であろう。しかし、この労働時間は、労働の生産力に変動があれば、そのつど変動する。労働の生産力は多種多様な事情によって規定されており、なかでも特に労働者の技能の平均度、科学とその技術的応用可能性との発展段階、生産過程の社会的結合、生産手段の規模および作用能力によって、さらにまた自然事情によって、規定されている。同量の労働でも、たとえば豊作のときには八ブッシェルの小麦に表わされ、凶作のときには四ブッシェルの小麦にしか表わされない。同量の労働でも、豊かな鉱山では貧しい鉱山でよりも多くの金属を産出する、等々。ダイヤモンドは地表に出ていることがまれだから、その発見には平均的に多くの労働時間が費やされる。したがって、ダイヤモンドはわずかな量で多くの労働を表わす。ジェーコブは、金にその全価値が支払われたことがあるかどうかを疑っている〔20〕。
労働価値説の条件。同一労働であっても条件によって果実は変わる。だが、社会的・平均的という魔法の言葉によって、それらは均される。一見矛盾するが、そういうことなのだ。最後の方の文章は『貨幣論』(岩井克人著)で批判的に取り上げられた箇所だな。価値が歴史的に綿々と算出され続けてきた金属に究極的に固着させられている、云々。

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