ともあれ、上着にとっては、それを着る人が仕立屋自身であろうと彼の顧客であろうと、どうでもかまわないのである。どちらの場合にも、上着は使用価値として働くのである。同様に、上着とそれを生産する労働との関係も、裁縫が特殊な職業になり社会的分業の独立な分肢になるということによっては、それ自体としては少しも変化してはいない。人間は、衣服を着ることの必要に強制されたところでは、だれかが仕立屋になるよりも何千年もまえから裁縫をやってきた。しかし、上着やリンネルなど、すべて天然には存在しない素材的富の要素の存在は、つねに、特殊な自然素材を特殊な人間欲望に適合させる特殊な合目的的生産活動によって媒介されなければならなかった。それゆえ、労働は、使用価値の形成者としては、有用労働としては、人間の、すべての社会形態から独立した存在条件であり、人間と自然とのあいだの物質代謝を、したがって人間の生活を媒介するための、永遠の自然必然性である。
これは難しいと思った。前半はまあ、いいんだけど、勿論、こう読めば簡単なんだが。
労働は、使用価値の形成者としては、人間の生活を媒介するための、永遠の自然必然性である。
どこで引っ掛かったかというと、
人間の、すべての社会形態から独立した存在条件であり、
という文章。
その前に、
だれかが仕立屋になるよりも何千年もまえから裁縫をやってきた。
と書いており、それに対応しているとは思う。それがどうやって社会的分業と絡むのか。ちょっと留意して以下を読んでいけたらなあ、と思う。

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