アホほどゆっくり資本論を読む

 

カレンダー

2021年
← September →
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

QRコード

カウンター

本日のアクセス
昨日のアクセス
総アクセス数

ブログサービス

Powered by

teacup.ブログ
RSS
投稿者
メール

 
コメント
URL
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。
投稿者:杉本
TAMO2様 ネグリを持ち出して、誉めていただきありがとう。
ネグリがこう述べているところを思い出しました。
「・・・「マルクスを超えるマルクス」は『資本論』を超える『要綱』ということだろうか?そうかもしれない。確実なことは、剰余価値論の本質的特長によって、価値論を支配的な重心としようとする似非科学的な試みに終止符が打たれる、ということである。」(『マルクスを超えるマルクス』作品社P050)

ネグリさんのこの提起は、旧来のスターリン経済学の搾取論への批判としては、賛成します。彼が述べているのは、搾取論として定式化される概念的諸範疇への批判を提案していることなんです。

中世の天文学批判としての近代の科学のやり方を例示したものに、マルクスの説諭次のようにありました。

『賃金、価格、利潤』
http://redmole.m78.com/bunko/kisobunken/chinkari07.html
「すでに述べたように、ある商品に結晶した必要労働の量がその商品の価値を構成する。ところでわれわれは、この価値概念を適用して、たとえば一〇時間の一労働日の価値をどう決めることができるだろうか? この労働日のなかにはどれだけの労働がふくまれているか? 一〇時間の労働である。一〇時間の一労働日の価値は一〇時間の労働つまりその労働日のなかにふくまれている労働量にひとしいと言うのは、同義反復的な、それどころかナンセンスな言いかたであろう。もちろん、ひとたび「労働の価値」という言いかたのほんとうの、しかしかくれた意味を見つけてしまえば、われわれは価値〔概念〕のこうした不合理で、一見不可能にみえる適用の意味をときあかすことができるようになろう。ちょうど、ひとたび天体の現実の運行を確かめてしまえば、天体の視運動〔天体の見かけの運動〕つまりたんなる現象的運動を説明できるようになるのと同じように。」
投稿者:杉本
その2
<価値の源泉としての労働力の発見>と、剰余価値の搾取論からは位置付けられるものです。しかし、マルクスは、すぐ、「本源的蓄積」についてとりあげているのです。

「市場には〔一方に〕土地や機械や原料や生活資料・・自然のままの状態にある土地以外は、これらはすべて労働の生産物である・・をもった〔労働力の〕買い手の一組がおり、他方には、労働力すなわち労働する腕と頭のほかにはなにも売るべきものをもっていない〔労働力の〕売り手の一組がいるという、この奇妙な現象、一方の組は利潤をあげ金をためるためにたえず買い、他方の組は暮らしをたてるためにたえず売っているという、この奇妙な現象は、どうしておこるのか? と。この問題の研究は、経済学者たちが「先行的蓄積または原蓄積〔42〕」とよんでいるもので、だがじつは原収奪とよぶべきものの研究になるであろう。われわれは、このいわゆる原蓄積の意味するところは、労働する人間と彼の労働手段とのあいだに存在する原結合の解体をもたらした一連の歴史的過程にほかならないことを知るであろう。しかしこうした研究は、私の当面の主題の範囲外である。労働する人間と労働手段との分離がひとたび確立されると、こうした状態はおのずから存続し、つねに規模を拡大しながら再生産され、ついに生産様式上の新しい根本的な革命がふたたびこれをくつがえして新しい歴史的形態で原結合を復活させるまでつづくであろう。」

つまり、単純再生産、拡大再生産で主張された、資本制的生産は――自己労働に基づく所有の廃止――を成し遂げていることをこそ、ここでマルクスは主張しているのです。
マルクスさんが、「もちろん、ひとたび「労働の価値」という言いかたのほんとうの、しかしかくれた意味を見つけてしまえば、われわれは価値〔概念〕のこうした不合理で、一見不可能にみえる適用の意味をときあかすことができるようになろう」・・・と述べたことの意味を汲み取れるのではないでしょうか?
つまり、投下労働価値説は、「自己労働に基づく所有の廃止」の下で成立していることを喝破しているのです。

「ある商品に結晶した必要労働の量がその商品の価値を構成する」――このリカード経済学を既成のマルクス経済学は批判できなかった・・・・という深刻な自己批判をするべきであるというのがネグリさんの提起なんだと思います。
teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ