アホほどゆっくり資本論を読む

 

カレンダー

2021年
← October →
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

QRコード

カウンター

本日のアクセス
昨日のアクセス
総アクセス数

ブログサービス

Powered by

teacup.ブログ
RSS
投稿者
メール

 
コメント
URL
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。
投稿者:tamo2
「計られる対象の性質の相違」と「慣習」は、犬同志の指摘どおり重なるんでしょうね。
投稿者:'A`U
 ミルヒは(端的にはマツタケやトリュフも)、それを珍重する文化/慣習(…慣れ、習った、=文化を継承済み)の文脈に在ればこそ直観的にありがたがる対象となりえていますが、(いずれも)アプリオリに価値を認めるものかは疑問であり、やはり慣習に依存していると思いますですよ(^ω^;
 むしろ萌えの対象こそが人類の憧憬対象の本質を内在したミーメーシスであり、アプリオリに近い気もしなくもなかったり…(全く文化の異なる、例えば密林奥地の土人には白色絵の具を溶かした生水を見せてもありがたがらないでしょうし、牛を邪悪と考える文化圏の者に牛乳を渡しても侮蔑されることでしょう、しかし文化圏を問わず萌えキャラを示せば琴線に触れるんぢゃなかろうか!? 何せヤハウェが人類に偶像崇拝をわざわざ禁じるくらいなのですからw)というような気がしなくも無い今日この頃です(^ω^;
投稿者:tamo2
犬同志の文章で、何となく分かった気がします。例えば、牛乳200ccとか、「ぱっと見て分かる」商品の尺度と、脳内萌えに依存するものの尺度は違う。後者は「ぱっと見て分からない」。これは、慣習(あるいは歴史)に依存する、と。
投稿者:'A`U
なるほど! 貨幣とその背後(…示唆する先)に実在する、労働『量』とを結びつける『慣習』ですか。

 そういえば、ねっとウヨクの若者と対話すると、「よらしむべししらしむべからず」の被害者なのか、よって疑わぬ境地に甘んじているケースが多く、(懐疑というマルクス主義者の素養に乏しい者には)見直す姿勢を促すことが困難なほどに強大な、慣習の「力」を痛感したりします(^ω^;
投稿者:tamo2
してみると、有用物をネタに貨幣というものを意識させる文章だな。商品を語るフリをして、既に貨幣を意識に忍ばせている。しかも、「慣習」という言葉で、その幻想性をも意識させているなあ。
teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ