アホほどゆっくり資本論を読む

 

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投稿者:tamo2
ここでの交換価値は、労働価値説に基づくものか、効用価値説に基づくものか、まだ明らかにされておりませんね。

なお、すっ飛ばして書くと、市場がナッシュ均衡に達するならば、市場の機能により労働価値説も効用価値説も、同等になると小生は考えております。切断の仕方の差異かと。
投稿者:'A`U
それとも

http://masm.jp/item/18

こういう前提・定義で使われているんですかねぇ…>交換価値   我ながら素人丸出しだな(汗
投稿者:'A`U
 交換価値とかいうから構えちゃいますけども、わたしらが フリーマーケットでどういう判断で値付けしてるか内省すりゃ、(労働価値説よりも)効用価値説のほうが遥かに説得力ありますわな(^ω^

 コストの道理となる労働価値説につらなる論旨や、経済活動を商品という物的な側面から光を当てようとする意図とは別に矛盾はしないやうに思いました>効用価値説

効用よりも小さなコストで作れるならば商売になりますから生産しますけれども、
効用よりも大きなコストが必要なら商売にはしません(端的にはお日様と戦う照明会社はありません)。
両者は評価の側面が違うわけで、この文脈での[交換価値]は[効用価値説]的な価値・解釈でええとおもいました…まぁ素人の憶測ですけどね(^ω^;
投稿者:tamo2
GO様、こんにちは。コンテンツをどう捉えるか難しいところは、複製の容易さですね。そして、物質性をほとんど意識しなくて済むところかと。だから、著作権とかが重要になるわけですな。マルクスは、彼の生きた時代にあって「製法特許」の重要性を説いていました(とこかは失念。これを探すのも、資本論を読む楽しみの一つです)。

>ただしそれが「使用価値」(みんなが欲しがるか)を持つかどうかは別問題

命がけの飛躍とは上手く言ったものですねえ。
投稿者:tamo2
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 富の社会的形態がどんなものであるかにかかわりなく、使用価値はつねに、このような形態にたいしてはさしあたり無関係な富の内容をなしている。小麦を味わっても、だれがそれをつくったのか、ロシアの農奴がつくったのか、フランスの分割地農民がつくったのか、それともイギリスの資本家がつくったのかは、わからない。使用価値は、たとえ社会的欲望の対象であり、したがってまた社会的関連のなかにあるとはいえ、どのような社会的生産関係をも表現するものではない。使用価値としてこの商品が、たとえば一個のダイヤモンドであるとしよう。ダイヤモンドを見ても、それが商品であることは識別できない。それが美的にあるいは機械的に、娼婦の胸であるいはガラス切り工の手中で、使用価値として役だっている場合には、それはダイヤモンドであって、商品ではない。使用価値であるということは、商品にとって必要な前提であると思われるが、商品であるということは、使用価値にとって無関係な規定であるように思われる。経済的形態規定にたいしてこのように無関係な場合の使用価値は、すなわち使用価値としての使用価値は、経済学の考察範囲外にある〔*〕。使用価値がこの範囲内にはいってくるのは、使用価値そのものが形態規定である場合だけである。直接には使用価値は、一定の経済的関係である #交換価値# があらわされる素材的土台である。
 〔*〕 これこそ、ドイツの書物の切張り屋連が「財」という名称のもとに固定された使用価値をこのんで〔con amore〕論じるのはなぜかという理由である。たとえば #L・シュタイン# 『国家学体系』〔シュトゥットガルトおよびテュービンゲン、一八五二年〕第一巻、「財」にかんする篇を見よ。「財」にかんする知識は「商品学指針」のうちに求めなければならない。
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先行する文章を読むと、使用価値としてモノが現われることと、商品としてモノが現われることは別であるという切断についてマルクスは述べていますね。そして、「使用価値そのものが形態規定」については例外規定されているように感じます。しかし、GO様が指摘されるように、サービス業などが大きくなってきた現在、例外=無視小と言えなくなっている、ということでしょうか。もっと考えていきたい課題です。

とりあえず。
投稿者:tamo2
杉本様、興味深いコメントありがとうございます。『「使用価値そのものが形態規定」である場合に経済学の考察範囲に入ってくる』ケースとはどのようなケースか。とりあえず、例の文章の前を含めて、引用しておきましょう。

(長いと怒られたので、続)
投稿者:GO
少し「先走り」ますが、コンテンツ(ソフト)の中身を作るのに「労働」が費やされているわけ。ただしそれが「使用価値」(みんなが欲しがるか)を持つかどうかは別問題
あと、サービスという労働の成果(商品)は保存ができないのが、通常の「商品」と違うところ。コンテンツはHDその他に保存され、残る。
投稿者:杉本
楽しみに見せて頂いています。
『経済学批判』では同じところがこう述べられています。
経済学の考察範囲内に「使用価値がはいってくるのは、使用価値そのものが形態規定である場合だけである。直接には使用価値は、一定の経済的関係である交換価値が表される素材的土台である。」
 「使用価値そのものが形態規定」マルクスのこれまで顧みられることのなかった、全く、忘れ去られていた側面です。
どうかtamo2様に、そのことへの注意の眼を注がれることを期待しています。
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