>さて、ドルの支配を打ち破った理由については、四トロで恐縮ですけど、以下のサイトに同意しております。
http://redmole.jp/bunko/18/bunko18f.html
要は、他の資本主義国の復活が理由かと。
プレトンウッズ体制は、冷戦と、イギリス労働党・ドイツ社民の例のように、それらを補完者とする国家による資本制の統制機構(ニューディール・ケインズ主義)であったはずですから、この構成が変化していない条件の下(1971年)でそのように言いえるのか疑問に思うのです。もう少し御教示の論文を検討してみます。
TAMO2が教えてくださった国際革命文庫に、マンデルの資本論解説がありました。
「他方、使用価値をもつすべての生産物が、必ずしも交換価値をもっとはかぎらないのである。商品が生産されている社会自身が、交換に基礎をおき、交換が日常的な習慣になっている社会になっている程度に応じて、それは交換価値をもつのである。
生産物が交換価値をもたない社会は存在するだろうか?
交換価値、ましてや商業や市場の基礎は、分業の一定程度の発展によってつくりだされる。生産物が生産者によって直接に消費されないためには、すべての人が同じ物を生産するのに従事してはいないということが不可欠となる。もしある特定の社会が分業をもたないか、もしくは、もっとも原始的な分業形態をもっているにすぎない場合、そのときは、交換の存在理由はまったくないことはあきらかである。」
(「マルクス経済学入門」第一章)
社会的分業の発展による使用価値の交換価値としての規定では、現象としての交換比率と商品の二重の質的規定としての交換価値との区分が付けられていないのは明らかですよ。