「耐震性」を売りにしたマンションが、実は耐震基準の3割程度でしかなく、住民が退去を余儀なくされている。
これは、1人の建築士、施工主、「民間」検査機関だけの問題ではない。
押さえておかなければならないのは、これは「人権問題」だということ。
人権を擁護する最大の責任者は国家=政府である。とすれば、この「マンション問題」の責任も政府にあると言える。
僕自身も都会のマンション暮らしだが、それは職業上の理由と、その職場に自転車で通いたいがための選択だ。僕は時間と「カネ」を天秤にかけ、時間を選択した。
しかし、都会(特に首都圏、中でも都心)の住環境はひどすぎる。東京への一極集中が背景にあるのは間違いない。
結婚し子どもを育てるためにはある程度の広さの住宅が必要だ。しかし都心には若い夫婦が住めるものが十分にはない。
特にバブルの頃を境に、地価・家賃は高騰し、新たに住居を求めるものは郊外へと追いやられた。都心はますます庶民には住めない場所へとなっていった。
最近また、その傾向が強まっている感がある。都心に新たにできるマンションは、「学生・1人暮らし向け」か「金持ち向け」かのどちらかがほとんどだ。
これはマンション業界の「儲け」を優先しているからに他ならない。「住民」側の意向は、マンション建設には反映されない。
「儲け」を優先するというのは、私企業の鉄則であり、マンション業界も同様だ。最大限の経済効率を追求するのだ。
そして業界は、最大のタブーであるはずの「安全」をも犠牲にしてしまった。
しかし僕は、これは当然の帰結だと思っている。目先の利益に眼がくらめば、一見利益とは縁遠く思える「安全」を軽視するのはよくあることだ。最近では、JR西日本の事故がその典型だ。
乗客の安全、住民の安全は犠牲にされた。
では誰がそれを守らなければならないのだろうか?
それは国家=政府だろう。
僕は常々、最大の「国益」は国民一人一人の「命」だと言っている。国が国民の安全を守らなければならないのだ。
しかし小泉首相始め今の政府は、「民間にできることは民間に」「小さな政府」をバカの一つ覚えのように繰り返す。
よく考えてほしいが、これは「自分の命は自分で守ってください。国は責任持ちませんよ」と、国の本来の責任を放棄していることなのだ。
今回も「民間の」検査機関が耐震性の審査をしていたそうだ。しかし今話題の建築士は、「検査機関には甘いところとそうでないところがある」と述べている。そう、「穴」があるのだ。
これでは、われわれは安心して暮らすことができない。
しかも、この「国の責任放棄」「民間任せ」は、これだけではない。
学校・病院・消防・救急・障害者介助・労働基準監督官・税関職員などなど、「国民の生活・命・安全を守るべき公務員」の数は不足している。
一方で「不安」をあおり、自衛隊は聖域扱いし、防衛庁を「省」に格上げ使用などと画策している。
このような国の責任放棄を放置しないためには、国民が自らの権利を掲げて「たたかう」必要がある。権利はたたかわなければ実現されない(「権利のための闘争」イェーリング)。
今のマンション問題については、「居住権」という「基本的人権」がわれわれにはあることを理解しなければならない。
以下、参考となりそうなものを見つけたので、賢い国民になりましょう。
-1- 基本的人権としての居住の権利と日本政府の義務
http://www.portnet.ne.jp/~vivo/leckie/leckie1.html
社会権、居住権について
http://www.portnet.ne.jp/~vivo/kaisetsu/syakai.html
ヴァイセンホフジードルンク/近代建築/居住権 (橋場一男 さんのblog)
http://blog.so-net.ne.jp/hashiba-in-stuttgart/2005-04-30
フランスの住居と居住環境
http://www.ambafrance-jp.org/IMG/pdf/habitat.pdf

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