2005年は、自民党や日本経団連という「改憲勢力」が、民主党という「権力志向勢力」と「一致団結」した年ともいえる。
彼らがどのような「意図」を持とうが勝手だが、「平和に暮らしたい」という「当たり前」の要求を積極的に、また消極的にも支持している人々にとっては、今年は大きな試練の年といえる。
9条に限っていえば、各種世論調査でも「改憲派」は多数ではない。しかし「多数派」である「9条支持派」は、残念ながら「団結」しきれていない。この残念な事実が、「改憲派」を喜ばせている(彼らの笑う顔を想像すると無性に腹が立つ)。
言葉は何でもいい。「団結」がいやなら「統一」「連帯」「つながる」「手をつなぐ」「肩を組む」「抱き合う」(個人的にはこれがいいな)。。。
この「抱き合え」ていない状況を端的に表しているのが、国会の状況だ。大まかに言って、480議席中、9条を変えたくないという意見を代表しているのは共産党:9、社民党:7の16人(3%!)だけだ。
この結果に至る要因には、選挙制度やこれらの政党の選挙戦術などもあるだろうが、一番の問題は、「9条支持派の分裂」にあると思う。
社会に散在する9条支持者・組織を代表する勢力を国会に送り出さなければならない。
まったく新しい政党を作るのもひとつの手かもしれない。しかし物理的に「時間がない」。だとすれば、共産党・社民党を利用するしかない。
僕は残念ながら、社民党には「うさん臭さ」を感じている。
その最大の原因は、この党の「言行不一致」性だ。
個人的には、それぞれ「いい人」なのかもしれない。福島瑞穂が障害者問題に一生懸命なのは事実だろう(その他の人のことはよく知らない)。
しかし彼らが実際何をしてきたか? 自民党と組んで「政権党」として何をしたのか? 胸に手を当ててよく考えて欲しい。
最新の「朝まで生テレビ」で辻元清美は「『新自由主義』への対抗理論として『新社民主義』が必要だ」と言っていたが、そんな「引き回し」はやめて欲しい。「9条支持派」に必要なのは、そんなわけのわからない「主義」ではないのだ。
僕は、共産党に期待せざるを得ない。
しかし今のままでの共産党ではだめだ。
共産党は、11日から大会を開く。大会では今後の活動方針が採択される。その中には、今後行われる国政選挙に向けた運動方針も盛り込まれる。
大会決議案を読んだが、はっきり言って「落胆」した。
なぜ過去3回の国政選挙で「惨敗」したのかの反省がまったくないからだ。
僕は共産党の現状分析能力を評価している。
しかし、運動体としての共産党に、残念ながら魅力を感じられない。
決議案では「党が質的・量的に実力不足」だと「分析」している(その通り)。しかしその「質的不足の原因」には触れられていない。
僕が思う「質的」不足とは、多数派結集につながる、党の「新鮮味、柔軟性、魅力」を作り出す能力の不足だ。現状では共産党は、圧倒的多数の国民から「この党となら、いっしょにやっていきたい」とは思ってもらえていないが、決議案では、この「質的」不足の責任の所在が現指導部にあるということがまったく触れられていない。
なぜ共産党の声が人々に届かないのか? 「自分たちの主張内容は正しい」かもしれない。しかしその表現者(党員ひとりひとり。特に幹部、候補者)・方法(しゃべり方、書き方)・手段(媒体)が本当に適切なのかどうかを判断し、改善していく能力が運動体の指導部には不可欠ではないか。
大胆かつ適切な行動提起のできる指導部でなければ、運動体としての共産党に未来はない。それを可能にする組織をつくるには、人材が必要だ。独自に育て上げるだけでなく、外部から積極的に迎え入れる努力もしなければならないと思う。
当面、「とにかく今の日本の現状を変えたい」「9条を守りたい」という勢力との共同を実現する上でも、現指導部が現状のままでその責任を果たせるかどうか疑わしい。どんなに立派な講演や演説も、人に聞いてもらい、理解してもらわなければ何の意味も持たない。「どうやって」を最優先課題として取り組む方針が、運動体としての共産党に必要である。
「9条の会」は9条支持者の「萃(すい)点」(大江健三郎)となることを目指している。
日本共産党は、9条支持派・日本改革派の声を国会に届ける『萃(すい)点』としての団体を目指して「脱皮」しなければならないと思う。

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