広島・長崎の思い出(5)
6日、いよいよ原爆投下六十年目の日を迎えた。僕は前日の午前様にもかかわらずがんばって早起きし、平和記念公園へと急いだ。

平和記念公園へ急ぐ人々
実際、午前四時には人が記念碑を訪れ始めていた。僕が着いた八時ごろにはもう人は一杯で身動きは取れないほどだった。僕は遠くから会場を見つめていた。

黙祷する人びと
秋葉市長は、平和市長会議で提起された2020年に向けた核廃絶の具体的プログラム実施を呼びかけた。
こども代表の2人の、力強い平和への誓いに感動した。
この感動を打ち消したのはやはり小泉だった。
この男は何の感情もない、誰の心にも届かない、棒読みにもならないまともに聞こえない声で、何の中身もない発言をした。「日本が核廃絶の先頭に立って」って、いつ先頭に立った? 米国に「あなたの核の傘にいつまでも入れといてください」って言ってるだけじゃないか? この首相の「発言」は、その後の衆院議長発言の「まともさ」と比べても異常なものだった。被爆国の首相としての資質に欠けると言わざるを得ないものだった。イヴォンは「首相は嫌々この場に連れてこられたようだった」と語ったのは正確な分析だろう。
そういう意味で、広島平和宣言は、2020年と、今年平均年齢が73歳という被爆者が、もしかするともういなくなっているかもしれない年ではあるが、期限を切った核廃絶を目標としたことに大きな意味がある。
この宣言が空文句にならないよう、運動を世界的に盛り上げていかなければならない。
広島の大会は無事終了。チデム(トルコ系女性)とクレープを食べに行く。彼女は一時半に広島城でグループと待ち合わせだった。しかしクレープ屋を出たのは一時半を過ぎていた。「フランス人の約束だから大丈夫だよ」と僕が言い、彼女も納得して別れた。
次は「ボランティア」で、ソフィーと日本人女性2人の対談の通訳をした。5月のNPT再検討会議の際に出会った3人が広島で再開したという設定(フィクションではない)。僕はプロの通訳ではないので、訳しながら、「あれ、さっきなんて言ったんだっけ?」と聞き直すこともある。やはり、それなりの訓練をしないとだめだ。ソフィーとは、彼女が3・1ビキニ・デーのために来日した際、静岡でインタビューしている。彼女がなぜ「平和運動」にかかわるようになったか? 核兵器をなくすには、核を持ちたい勢力の「論理」を崩さなければならない。そこには「感情」の入りこむ余地はない。それは今年のNPT会議の場でも見られたことだが、被爆者が核廃絶を求める演説をしたとき、政府の代表は「昼食」でほとんど誰も議場にいなかった。外交官に「感情」は必要ないのだ。ソフィーは「安全保障」を根拠にしたあらゆる理由を一つづつ崩していきたい、との思いで活動している。
それが終わると、次は灯ろう流し。地元女性の「迷」ガイドで会場を間違え、遅れて到着。フランス人は一様にはじめての幻想的な光景に感動していた。それぞれが平和への思いをしたためた灯ろうを、元安川に流していく。

灯篭を見つめるナデージュ
川岸では、フランス代表団がそれぞれ持参したワインなどを振舞った。僕は誰かが持ってきた名前は忘れたが、えらくきつい酒を飲まされ、すきっ腹に効いた。七色に光るボールペンや退役軍人会のペナントなどをもらった。ある女性が僕に「なぜ8月6日は祝日ではないのか?」と聞いてきた。確かに考えさせられる質問だ。
広島滞在中、NHKは平和特集をやっていた。しかし広島放送局の世論調査では、広島においてさえ、家庭で戦争・原爆のことについて話さない人が6割以上いるということだ。曲がりなりにも「平和教育」を行っている広島でだ。他の地域では、その比率はもっと高まるだろう。
先ほどの彼女は、「フランスでは11月11日は休日だが、その訳を知る人が少なくなってきている」と言う。この日は、世界ではじめて人類に、かつてないほどの大きな被害を与えた第一次世界大戦終結の日(1918年)だ。この戦争を直接体験した世代は、今はほぼ100歳。彼らの経験を今の若者に直接伝えることはほぼ不可能だ。せめてこの日が休日であることで、みなが世界史におけるこの日の持つ意味を考えるきっかけにはなる。
翻って、日本の8月6日、9日は休みでもなんでもない。たった1発の爆弾が20万人、7万人の命を一瞬にして奪い、いまだにその後遺症に苦しむ人を作った日なのに。記憶するためにはそのための努力が求められる。本を読む。展示を見る。体験者の話を聞く。人と話す。6日と9日、「日々の給料よりも大切なこと」のために、将来の世代に戦争の悲惨さを語り継ぐために、国民全員がちょっと立ち止まる時間を作ることが、「無駄」だとは思わない。
僕は4・29を昭和の日なんかにするより「歯肉炎の日」にすることを提唱しているが、8・6、8・9はそれぞれ「平和の日、命の尊さを考える日」などにすることを提唱したい。
灯ろう流しの間、チデムとかなり話し込んだ。チデムも広島での経験が自分にとって大きな転機になったと語ってくれた。ここで僕たちが合意したのは、来年の8月6日〜9日に向けて日本からの平和の使者をフランスに招待し、核廃絶・平和のための交流をするプロジェクトの推進だ。

チデム(Cigdem) 暗すぎて上手く撮れませんでした
これまで8・6、8・9は日本が「独占」してきた感がある。今回フランス人が大量にやってきたが、こういうことは今後あるかどうか分からない。これからは、こちらから出向いて平和の思いを広げていくことが求められているんじゃないか、ということだ。
もちろんフランスとだけじゃない。世界各地に日本からの「平和の使者」が赴き、地元の人と交流することで、平和への思いがより強くなるのではないか。平和のネットワークを築き、核にしがみつく勢力を包囲しなければ。
灯ろう流しの後、チデムたちとそぞろ歩き、「和風ダイニング」へ。そこでばったりアランたちと出会う。彼はもちろん喜んでいた。

目をつぶっているのはベアトリクス(女王ではありません)
明日は長崎へ出発だ。

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