「「郵政民営化で『米国』がもうかる」論への反論の反論」
権利
郵政民営化して、大量の貯金を「自由」にすることは、自由な市場競争の原理に従って当然のことだ、というのでしょう。
これそこ、まさに「新自由主義」の論理そのものです。
新生銀行の例を見ましょう。旧長銀は細かい理由はともあれ、放漫経営の結果、多額の負債を抱え、「一時国有化」されました。「国有化」にあたり、多額の税金がつぎ込まれました。そして米国の投資会社・リップルウッドに二束三文で売却されたのです。
8兆円の公的資金が投入され、リップルウッドは10億円で旧長銀を購入。
そしてリップルウッドは、ただ同然だった旧長銀の株式を売却することで、多額の利益を得ました。さて、この株式売却益に課税されたでしょうか?
この「米国の投資会社」は日本国民の税金を踏み台にし、多額の利益を得ながら、日本国民には一切還元していないのです。
ブッシュはなぜ、日本政府に対し、郵政民営化を求めているか。それは「米国の金融資本」から要請されているからです。「米国の金融資本」は米国民全体の利益を代表している訳ではありません。日本政府も、日本国民全体の利益を代表するのではなく、日本の民間金融資本(広くは財界)と米国の金融資本の利益のために働いています。
しかし小泉は、このことを隠し、郵政民営化があたかも「国民の利益」になるかのように、「これこそが改革だ」と叫んでいるに過ぎません。
このことは、「一人一人の国民の利益」から出発しなければ見えてこないことです。
郵政民営化により「自由」が利くようになった貯金を、一部の金融資本家(日本のであれ外国のであれ)の利益になるようなやり方で使いましょう、というのが民営化の本質です。
「民営化により官から民へお金が流れる」と言いますが、財界=民が国民にお金を環流(還流? どっちでも意味は通る)していないことは、法人税率の引き下げを見れば明らかです。
まやかしの「民営化万能論」=新自由主義にだまされるのではなく、事の本質を見極めてください。

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