米国内で発生した大規模自然災害に対する米国の無策振りは、「他国の主権を武力で侵害する(帝国主義の)政府は、自国の構成員に対しても抑圧的な政策を採る」ことをよく示している。
より簡単に言えば、米国政府に国民の命を尊重するという意思はそもそもない(ほとんどない)。あるのは自らの利益になる範囲で国民が自分たちを支持するように餌(精神的=愛国主義、もしくは物質的=あるとすれば減税とか?)をまくというプラグマティズム=ご都合主義だ。
日常の平穏な生活(平和)を許されない状態には、2つあることも明らかになったのではないか(もともと明白であったが、改めて認識を強くした)。一つは人為的なもの。もう一つは自然の力によるもの。
ニューオーリンズの状況は、「平和」とは対極にあろう。そしてまた、「武力による平和」が幻想に過ぎないことを再度確認する機会となっている。
加藤周一氏が折に触れて指摘することだが、世界には軍事力で解決できない問題のほうが多い。貧困・疫病・環境汚染・自然災害のどれをとっても軍事力がその解決になった例があるだろうか?
いや、むしろひとたび持てば際限なく肥大していく軍事力は、これら人類の存亡にかかわる問題の解決にとっての障害でしかない。なぜか? そのための人的・経済的資源が誤った方向に使われるからだ。
自衛隊も同じだ。自衛隊の存在が、国民の生存権を侵害している。国内における大規模災害(人災・天災にかかわらず)への「即応体制」が取られていない。なぜか? それはこの憲法違反の存在が、国民の命を守ることを第一の任務としていないからだ。
「自衛隊のお陰で日本は外国からの侵略をうけていない」という「より高度の福祉」を強調する人は、原因と結果を見誤っている。日本が侵略されていないのは、平和を望む多くの国民の声があるからだ。
自衛隊は速やかに不必要な兵器を廃棄すべきだ。そして隊員の能力開発は、人を殺すためではなく「人を救うため」へと、目的をシフトしなければならない。
カネ・ヒト・時間を真の国益=国民の生命のために使うことが必要だ。そのためには国民の命を第一の国益と考える政府を作らなければならない。
残念ながら、それは自民党にも民主党にもできない。公明党はもちろんだ。

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