「天皇陛下と国王の違い・・即位20年奉祝 EXILE”太陽の花”」
日本人として生きる
先の即位20年式典では、秋元康氏の作詞による”太陽の花”という奉祝歌がエグザイルにより歌われたが、それを見つめられる天皇皇后両陛下のお姿に、ほんとうに今上天皇は、皇后陛下とともに”ありうべき天皇”の”心髄”を極められた方なんだなあとしみじみ感じた。
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奉祝歌 EXILE”太陽の花”をお聴きになられる両陛下の愛に満ちたお姿にこころを洗われた。
理屈抜きで”天皇陛下”の御心が伝わる動画
記事後段で全歌詞を掲載したので・・・感じとってほしい
皇道とは”人としての道を極め、仁愛をもって歩みつづける中で、自らの欲望を脱ぎさる先に到達する境地”だと思う。
故高松宮殿下が”皇室とは警察ではなく国民に守られる存在でなければならない”と常々いわれていた言葉は、服従でなく、敬愛の対象であるべき人の道を究められた我が国の天皇のあり方を如実に語られていると思う。
まさに、”天皇”とは、欲望がうずまく混沌の権力闘争の果てにのぼり詰める”国王”の対極をなすものであり、個の欲を超越し、人類愛に昇華させる人としての歩みのベクトル上に存在し、人としてのいかにあるべきかを極めた先に存在する。
ゆえに天皇皇后両陛下が発せられる”慈愛のオーラ”に接するとき、その魂の遍歴にまで想いを導かれ、感動の涙が溢れてやまない。
今回の式典での奉祝曲は、天皇陛下の御心に通じるも秀逸なものだったと思う。
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以下引用
今上天皇即位20年奉祝曲 組曲”太陽の国”第三部”太陽の花” 歌詞 作詞秋元康
この道を歩きながら
名も知れぬ花に見とれ 立ち止まる私でありたい
このみちを歩きながら
移りゆく空の色を 見逃さぬ私でありたい
しあわせは 周りに溢れている
しあわせは 今いる場所で気づくもの
太陽は変わることなく輝いて
そよ風にほほえみながら
一人一人を
穏やかに 見守っている
このみちを振り返り
誰かの頬の涙を 想い出す私でありたい
悲しみも時にはめぐるけれど
悲しみもそのうち晴れる通り雨
太陽は変わることなく 輝いて
青い空 両手を広げ
そのぬくもりを
平等に与えている
光の花 ふりそそぐ
生まれた国 いつまでも忘れない
太陽は変わることなく 輝いて
そよ風にほほえみながら
一人一人を
穏やかに 見守っている
太陽は変わることなく 輝いて
美しい夕暮れの時
また日が昇る 幸せを教えてくれる
太陽は永遠に
以上 引用 今上天皇即位20年奉祝曲 ”太陽の花” 歌詞 作詞秋元康
生まれ死んでいく中で、世代を超えて絆をつないでいきながら”人としての心”のあり方を極めていく・・・・天皇陛下もまたその魂の修行者のひとりだと思う。
幾多の試練を乗り越えた先に到達されたあの慈愛あふれるお二人のお姿に接すると何故か涙が止まらない。
共に泣き 共に喜び 共に生き
慈愛あふるる 日之本の君
日本国万歳!!天皇陛下万歳!!
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