太陽に集いしもの

日本のこころを体現するステルス新党”日本自由民主国民党”支持!
国民新党支持!
日本の自然と歴史の中で紡がれてきた民族の魂を語り継ぎたい、、、
井の中の蛙大海を知らず、されど天の高さ地の深さを知る

 
地球を滅ぼす国はどこか?、 新安全保障案=沈黙の艦隊、 脱アメリカニズム=スローライフ、 ネオコンはレーニン主義、 剣の極意と平和憲法、 最後の志士=梶山静六、 長淵剛”しあわせになろうよ”の真意、 父と母の戦争体験、 靖国問題、 天皇陛下の御心、 日本人と宗教、 専業主婦も戦場へ=女性論3、 わしズムとぱしりズム、 自衛隊イラク派遣、 竹中改革の誤りと求められる本当の改革、 誠なき国との国交はいらない, マルクス経済学の逆用=恐るべし中国、 日本型経営の再生(1)京セラ稲盛イズム、 右からの憲法改正反対論、 新説”右左”の分け方、 日本人の心の原風景=宮沢賢治、 日本赤軍とアラブナショナリズム、 サムライ左翼の思い出、 チャリティ思想と共生思想の違い、 ネオコンと新世紀エヴァンゲリオン人類補完計画、 福島瑞穂=戦後の個人と戦前の個人の違い、 櫻井よしこが暴いた小泉改革詐欺、 アジア太平洋共同体、 愛と幻想のファシズム=バブル世代の思い出、 ヘレンケラーの武士道精神、 アバタールチューナー2=マネー全体主義者の末路、 アナログ能力欠乏症=IQが高い方向音痴君の話、 堀江イズム=時価総額至上主義、 竹中イズムの陥穽(1)、 ライブドア問題(1)、 ライブドア問題(2)、 竹中イズムの陥穽(4)(ネオコンの誤謬)、 中国のマネー戦略、 戦後日本が忘れたもの=かわぐちかいじ”ジパング”、 脱日本経営のソニーの陥穽、 拉致被害者家族会が問う祖国愛、 ”新世紀エヴァンゲリオン”と”愛と幻想のファシズム”、 サイバーテロ被害報告1、 サイバーテロ被害報告2、 サイバーテロ被害報告3、 郵政340兆民営化の本音、 公の復権=新生日本主義経済、 公の復権=景気回復を呼ぶ累進課税強化、 公の復権=官への競争原理導入、 サラリーマン増税の前に外資の税逃れを許すな、 スパイウエアの規制強化を!、 長淵剛”CLOSE YOUR EYES/YAMATO"=”男たちの大和”主題歌、 皇室の歴史的存在意義の理解度でわかるデジバカ度、 民族の歴史の冒涜=皇統廃絶を許すな、 皇統廃絶を策して処刑された織田信長、 日本を汚染するコイズム衆愚政治、 産業構造を歪める株価偏重主義、 日本に切望される政治潮流は反ネオコン、 杉村タイゾーに群がるマスゴミが国を滅ぼす、 日出ずる国は普通の国になってはならない、 韓国カルト”統一原理”と政治工作、 新世紀エヴァンゲリオン追記、 尊皇の原点1=天皇陛下の存在意義、 尊皇の原点2=君が代、 尊皇の原点3=武を超克した皇道の極意、

日本人の心の起源

日本人のこころの象徴とされている天皇家の起源は大陸よりきた侵略者だという学術見解がある、それによると、日本人古来の血統はアイヌ民族とか琉球民族に引き継がれているらしい。 たしかに、初期の大和朝廷は謀略と殺りくのくりかえしで、日本的というより中国とか欧米のような大陸的歴史をくりかえしていた。 だが、この日本の風土は、3000年の時をかけ、血なまぐさく野蛮な侵略者たちのDNAも変質させていったのではないか? この国の自然は普段は繊細で美しい、しかし、時には暴風雨となり、大地震となり、大噴火となり無力な人間をおしつぶしてきた。その中で育まれる”こころ”は敬天愛人にしだいに近づいていく。 起源がどうかというより、時代の流れの中で”和をもって貴しとなす”境地にたどり着いた日本人のこころにこだわりたい。 日本人のこころの原風景   /反コイズムブログ同盟に結集せよ!

改革詐欺利権監視中

売国ケケ中の資産の海外疎開を監視せよ!

植草氏逮捕,長期勾留の狙いは?法的根拠は?改革詐欺師ケケ中六本木グループの金融ウラ利権隠しか?

コイズミ改革詐欺の金融利権グループを摘発せよ!!

ブログサービス

Powered by

teacup.ブログ
RSS
この記事にはコメントを投稿できません
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。
投稿者:のり弁
”武士道とは死ぬことと見つけたり”の言葉ですが、確か出自は三島由紀夫氏の本かスローガンか何かだったと記憶しています。これは三島氏の武士道観です。昔からある言葉として若い方に浸透しているのでしょうか。
投稿者:政界関係者
社民党の面白さが乗ってるページを見つけました。
これは本当なのでしょうか?
信じがたいのですが。

http://page.freett.com/rickydai/syamin.htm
投稿者:一国民より
福島瑞穂→趙春花という朝鮮人とのことですが
本当ですか。説明してください。
投稿者:NN
すみません。一言付け加えさせていただきます。

保守主義者には「村の長老さん」のような役割を担ってもらいたいですね。長老さんのような態度で堂々としていてもらいたい。(「長老」という言葉が思い出せませんでした。)
投稿者:NN
こんにちは。2月になりました。

「政治的にはとらえどころない個の尊重と競争原理に委ねる自堕落さにつながるイメージが多分にあります」

お気持ちはよくわかります。競争原理についてですが、私も新自由主義的なものは嫌いです。リベラルはやはり左派だし、社民主義者的です。経済的には(個人の自由を保証するために)平等志向で精神的自由の尊重というところでしょうか。右の新自由主義は経済的には自由な競争原理にゆだね、貧富の差などからくる社会不安には精神教育的(愛国・道徳教育)なものなどで対処するという感じですね。

「日本の価値相対主義は・・・・・・・という謙虚なスタンスです。」

本来の保守主義もそういうものだと思います。フランス革命理念(真理追求)に対抗するようなかたちで出てきた欧州(エドモンド・バーク)の保守主義は真理なんて得られないのだから、伝統や歴史から得られる叡智を頼りにしようというものだったと思います。

最近の日本(だけじゃないですね)の「保守派」はなんだかやたらに感情的になってオロオロしちゃっているような気がします。妙に攻撃的ですね。ジェンダーフリーバッシングなんてかなり酷いと思います。もうちょっと落ち着いて堂々とした議論ができないのかなと思います。

「価値絶対主義は、真理を掌握したという地点から・・・・宿命を持っている」

まさに共産主義の失敗がそうですね。バランス感覚の優れた真の保守主義は必要だと思います。
自分の思想を整理する意味で、こちらもいい刺激をいただいております。
ぼくにとって”リベラル”というのは音楽芸術分野ではいいと思うんですが、政治的にはとらえどころない個の尊重と競争原理に委ねる自堕落さにつながるイメージが多分にあります。(これについては古典派経済学批判として後日扱いたいと思います。)

日本の価値相対主義は、方法論レベルの概念で、絶対的な真理というものの存在は意識しながら、人間が近づくことはできても、完全に掌握することはできないという”悟り”の上に、
”大河の一滴”の人間としては”せめて捉えうるベクトルは希求しよう、そしてそのベクトル合わせを蓄積していこう”という謙虚なスタンスです。

これに対して価値絶対主義は、真理を掌握したという地点から、それへの整合性の追求を現実行動規範とする、人間の過信に基づくもので、危うさをはらんだものだと思います。
真理が本当に真理なら問題ないですが、実際人間は愚かなもので、そこまで万物を把握できる能力はありませんから、いつのまにか矛盾の辻褄あわせに追われ、結果的につかみきれない本来の真理に到達することを阻む壁へと転化していく宿命を持っていると否定的に見ています。

日本の宗教もベクトルの最終的な実体を規定しないだけで、ベクトルにおいてそれぞれの神を束ねるという意味においては、多神教というよりむしろゆるやかな一神教だと思います。
ですが、その理解は左脳的な論理だけでは表現できないもどかしさがあります。体得するしかない境地ですが、変に左脳的にだけ捉えてしまうと”なんでもあり”と変わらない自堕落なものになってしまいますからね。(笑)しいて言えば自堕落との区別はたゆまぬベクトルの希求によりたんぽされるといいましょうか、、、、

http://sun.ap.teacup.com/sunvister
投稿者:NNその2
どんな言葉・語彙を使うにも長所・短所があって、それらをよく考えた上で適切だと思うものを使うということだと思います。どんな言葉で語るか、それこそが思想だと思います。言葉を発する人自身もそれに特定の意味付けをしますし、それを聞く人もその人なりに意味付けします。自分はこういう意味で使っているけど、相手には違って聞こえるだろうから、一番効果的に意図が伝わるように別の言葉を使うということもあります。とは言っても、福島さんや社民党がそれに成功しているとは思えませんが。まさにこれですね。「従来型のリベラル左翼的な言説はもうほとんど響かなくなっていますしね。語り口を変えないとダメでしょうね。」(1月28日コメント欄)

「愛国心」についても同じだと思います。あえてその言葉は使わないという判断を私もしますので、なんか理解できます。ただ、田原福島両氏のやりとりから展開された考察は上で述べたように見事だと思いました。

「東洋的な価値相対主義的な宗教観が普及すれば、世界はもっと平和になるのにと思いますが、、、、」(1月28日コメント欄)

これまた陳腐で危険な単純化ですが、多神教と一神教の世界観の違いですかね。リベラル的「多様性への寛容」は多神教的価値観とマッチするような気もします。日本的混沌の文化とも融合可能かと。あまり深くは考えてないですが。
投稿者:NNその1
またまたコメントさせていただきます。

私は「太陽に集いしもの」さんとは立場を異にするものですが、あいかわらず興味深い考察をなさっているなと思います。いや、自分と違うからこそ刺激的で有益だと思えるのでしょう。巷であふれる「自由放任の教育のせいで・・・」「権利ばっかり主張して・・・」みたいな陳腐で事実誤認も甚だしい物言いとは明らかに違うと思います。

私も朝生見ましたが、福島さんのあれはまさに「語り口」の違いなだけのような気がします。彼女も「国民・市民のため」に命をかけてやっているでしょう。ただ「国のために」「・・・のために死ぬ」という言葉・ロジックを使わないだけで。言うだけなら簡単ですから、あえてそうは言わないのでしょう。

田中康夫氏が小沢一郎氏に接近したとき、「私は『市民』と言い、小沢さんは『国民』と言う」と言っていました。たいした違いはないのですが、それでも重要な違いがあるみたいな。これら言葉の裏には歴史があり哲学があり政治があります。決してイノセントな概念ではないと思います。
teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ