人力車ガイドマニュアル
橦木倶楽部
井元邸は、輸出陶磁器商の井元為三郎氏が建てた屋敷である。大正末年から昭和にかけて建てられ、井元為三郎氏の邸宅として使用されていた。当時、井元氏は陶器絵付け工場をこの近隣に構えて貿易商を営み、一代にして財を成した。
屋敷は、和館・洋館・蔵・茶室・庭園で構成されている。名古屋市の指定文化財である。
町名の由来 橦木町
本来は、手偏の撞木であった。東西に走るこの町筋が西の上堅杉町でT字に行き停まったため、鐘を打つ撞木に似ていると付けられた地名である。
山吹谷
橦木倶楽部の南には、山吹小学校と山吹谷公園がある。江戸時代の初めには、春の終わりになると山吹が咲きほこり、人々が集まる名所であった。
その後、山吹谷は武家屋敷地となり、明治を経て大正時代にはここに、名古屋市立第三高等女学校が建てられた。その女学校も昭和20年の大空襲で全焼してしまった。戦後、愛知一中と合併し、現在の旭丘高校となった。公園の西の隅に記念の碑が残されている。
二葉館
日本の女優第1号の川上貞奴の邸宅である。本来は、この地から北西の東二葉町にあり、高台の端で遠くからもその威容が眺められたので二葉御殿と呼ばれた。
日本の電力王と呼ばれた福沢桃介のパートナーとして、大正末期から昭和初期にかけて名古屋で活躍した。当時の最先端の建築方法で建てられた和洋折衷の建築である。
町名の由来 主税町
江戸時代初めの清洲越しの時、勘定奉行の野呂瀬主税という人が初めて住んだところから付けられた。
主税町長屋門
唯一、この地区に残る江戸時代の武家屋敷門である。
明治時代には、この屋敷に第4師団長として、後に3度も首相を務める桂太郎が寄宿したことがある。
堀美術館
ダイテック、マナハウス、名古屋ブルーノートと経営の幅を拡げる堀誠さんの収集した美術品を展示した美術館である。
梅原龍三郎をはじめとする油絵や日本画も所蔵している。本日11月3日オープン。
豊田佐助邸
豊田自動織機を作り、現在の世界のトヨタはこの地から始まった。
豊田佐吉の弟で、佐吉を支えた佐助の邸宅である。大正末期に建てられ、和洋折衷の洗練された建築物である。
鳥屋筋長屋
大正初期に建設された十二軒長屋が、現在は南の4軒、北の1軒の5軒になってしまった。
中央の閑所の上に、空になった屋根神様が残る。屋根神様は長屋の神様だ。防火の秋葉さん、防疫の天王さん、産土の熱田さんの三神を祀るのが一般的である。

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