鍋屋町の松山神社の東隣に浄土真宗の円明寺がある。室町時代の文明年間(1469〜1487)に伊勢長島に創建され、江戸時代のはじめ延宝3年(1675)に現在地に移ったという。伊勢長島といえば、“伊勢長島の一向一揆”(1570〜1574)だ。本願寺と織田信長の戦いの中で、2万人の一向門徒が焼き殺された。どういう経緯で名古屋に移転してきたのであろうか。浄土真宗の寺は、烏が池で有名な養念寺をはじめ、教順寺、円勝寺、心海寺、勝楽寺など、この近くにはかなりある。
ところで、円明寺には、“石の鐘”がある。戦時中、昭和16年(1941)に発令された金属回収令に基づき、翌年、寺院の仏具・梵鐘なども強制供出された。供出した梵鐘に代わりに“石の鐘”を作り、今日まで吊し続けてきたことは、戦争を二度と起こしてはならないというメッセージであろう。音は鳴らなくとも痛烈に心に響く祈りが伝わってくる。
なお、円明寺には、明治13年から2年ほど“学制”にもとづく小学校が設置され“飯田学校”と呼ばれた。後の山吹(棣棠)小学校につながる。
境内の隅に川島不究という俳人の句碑がある。門人により昭和31年(1956)に建てられたものである。川島不究という人は、宝生流の謡曲もよくしたようで当時(昭和29年頃)の発表会のプログラムに名前が出てくる。

戦争のことを忘れないためにも貴重な資料となっている石の鐘。

平成7年(1995)に再建された門と本堂。

鐘楼。

川島不究の句碑
木槿いつか はなびらたたみ 月涼し

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