2010/1/3

国道1号沿いにある国の史跡「山中城跡」  ♨伊豆長岡温泉の旅館「三養荘」に泊まる 2009.12

昨年末に出かけた伊豆長岡温泉
レポが途中で新年を迎えてしまいました。

小田原「かまぼこの里」で正月の買い物を済ませ、
そこから徒歩10分ほどのところにある「友栄」で鰻ランチ。
その後はまっすぐ伊豆長岡温泉の宿「三養荘」へ行く予定でしたが、
国道1号線(東海道)を走らせていると、「山中城跡公園」が目に入り、
立ち寄ることにしました。山中城跡は三島市にあります。

山中城跡 http://www.city.mishima.shizuoka.jp/seseragi/toshikeikan/tyoubou/yamanaka.htm



住所:静岡県三島市山中新田字下ノ沢ほか 地図はこちら
JR・伊豆箱根鉄道三島駅から元箱根方面行きバス(約30分)
なお、「山中城まつり」の際にはシャトルバスが運行される

山中城(やまなかじょう)とは:by ウィキペディア
静岡県三島市山中新田(伊豆国田方郡山中)にある中世の山城跡で、国の史跡に指定されている。
永禄年間(1558年 - 1570年)に北条氏康により築城され、小田原城の支城として位置づけられる。箱根十城のひとつ。
北条氏政の代に豊臣秀吉との関係が悪化すると、山中城は改修し防備を固めることになるが、結局間に合わず未完成のまま豊臣軍を迎える。 1590年(天正18年)、小田原の役で豊臣秀次率いる7万の軍勢が山中城を攻撃、城将松田康長ら4千は奮戦し、豊臣方も部将の一柳直末など多くの戦死者を出すものの、猛烈な力攻めの結果わずか半日で落城し、松田以下城兵はほとんど討死した。戦後、城は廃止された。

1973年(昭和48年)から三島市によって当時を反映した整備改修がなされ、堀や土塁などの遺構は風化を避けるため、盛土による被履の上芝を張って保護し、畝堀や障子堀の構造が明確に把握できるように整備されており北条氏の築城方法を良く知ることのできる城跡となっている。
また、北条氏滅亡と共に廃城となったため、北条氏独特の城郭の構造を多く残していることが注目される。
1930年(昭和5年)に国の史跡に指定された。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(40番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。
毎年、5月の第三日曜日に山中城まつりが開催される。

 岱崎出丸跡からの景色
市街地と駿河湾が良く見える。
天正17年(1589)北条氏政は、豊臣秀吉の来功に備えて急遽堀や岱崎出丸などの整備、増築を行った。
しかし翌年、未完成の岱崎出丸を豊臣勢に攻められ、半日で落城。
駐車場のある国道1号線(現東海道)を挟んで本丸と岱崎出丸が分かれているが、
実際には旧東海道は岱崎砦の下を沿うように通っていたようです。
出丸とは本城より張り出して築かれた曲輪のこと。

 すりばち曲輪
曲輪(くるわ)とは 防御陣地・建造物を建てる敷地・兵の駐屯施設。
(くるわ)とも書く。江戸時代以降はともいう。

 独特な堀
堀の底には、盛り土で格子状や梯子状になってて、これを畝堀(うねぼりとか障子堀という。
一度掘に落ちると堀の中を移動出来ず、素手でよじのぼることを困難にしている。

山中城は石垣は無く、土塁で築かれていたそうな。

次はいよいよメインの旅館です。
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タグ: 三島 史跡



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