我が輩が生涯1度の重病から退院して5日目となったが、日に日に病状は回復していると思う今日この頃。
今日は記憶の覚めない内に「熊本での治療→東京への転院→退院」のあらましをアップ(本日は前編)するので、しばし、お付き合い願いたい。
ちなみに冒頭の写真はご存知「さつま焼酎」、今回の入院騒ぎでお世話になった方へのお礼の品として、鹿児島の「老舗酒屋・川畑酒店」詳しくはこちら→
http://www.kawabata.sake-ten.jp/から取り寄せたもの。
我が輩は昨年3月で酒、焼酎は止めており、我が輩が飲むのではないので念のため。
熊本の独立行政法人・医療センターに急性肺炎で入院治療したのが15日間、退院時に支払った医療費は23万円であったが、その後、東京の○○大学病院に「検査入院」したのが18日間、この間の医療費支払いは82万円であった。
東京での入院は「新しい治療を始めるコトを前提とした検査のみ」で、この間、治療行為は一切なしでの「医療費82万円」。
我が輩はまさに、これによって生還したという話はこちら→
前置きが長くなったが、熊本病院の当初の見立ては「感染性急性肺炎の疑い、加療2週間」で、
連日、抗菌性の点滴治療が行われたものの、我が輩の病状は好転するどころか「立って呼吸することがキツイ」状態になって、遂に「車椅子の人」になってしまった。
主治医は「新たな治療を行うことを前提とする肺カメラ検査」を行うために、6月2日土曜日午後、
我が輩と妻君、東京から駆けつけた長女に対し「これまでの経過とこれからの治療方針」を説明した。
約50分に及ぶ主治医の説明終了間際、長女が質問した。「先生、その検査と治療は東京ではできませんか?」・・・
「できます。」と答えた主治医の顔がその瞬間から、「笑顔に変わった」と思うのは我が輩の目の錯覚か。今では確認のしようもない。
我が輩の東京転院問題は「賛成2・妻君は棄権・反対1」の票読みで、大勢は決したも同じだった。
我が輩は「いずれは行くにしても、ちょっと考えさせてくれ。」と持久戦へ持ち込もうとしたものの、長女が放ったキツーい一発→
「病院を替えるなら体の動く時に移らんと担架に縛り付けられて移った時じゃ遅かつよ。」で、もう「わかった。」としか答えられなかったアゴ自慢の我が輩。
あとは、長女泣く→我が輩も泣く、感動の場面??
かくして「我が輩の東京転院問題」は、わずか2分弱で決定した。
「熊本病院の退院決定」が出たのが、4日(月曜)の午後5時30分。
それからは東京行きの身の回りの準備と飛行機のチケットの手配、「機内に携帯酸素を持ち込むための医師の診断書、航空会社様式による我が輩の同意書」等をその日のうちに準備、
翌朝午前9時に「携帯酸素の受領と使い方の説明」を受けて、車椅子からタクシーに乗り換え、空港に向かったのが9時半過ぎ。
熊本発の飛行機に携帯酸素を持ち込んで羽田へ向かったのは、午前11時。
酸素の持ち時間は10時間、残るは8時間となっていた。
急げ、飛行機!

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