TAMO2ちんの日常

思想の嵐 猛(たけ)るとも 正しき道を いざ進め 

 

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投稿者:招き猫
単に

弱くある自由へ

従って、異物の核心は強い自由という仮面が排他的本質を覆った場合であると断定しなくてはならない。

終了
投稿者:tamo2
異質・他者というものを民主主義は本来抱えられないと思う。抱えられるのは許容できる範囲、ルールを是とされる範囲での他者に過ぎない。

ナチスのおぞましい行為は、民主主義の理念に忠実であったためと言えなくはないか。それは、ワイマール憲法の理念が齎したものといえなくはないか。
投稿者:tamo2
そして、思うところは民主主義の「不可能性」。

というのは、民主主義というルールは、それを是とする大多数を形成することで可能となるからだ。

そのルールを是としないものが「国家」「行政」にいれば、まさにヨシュア記のごとく振る舞わざるを得ないことになる。
投稿者:tamo2
やはり、マルクスの言うように、「ユダヤ人問題の解決は、ユダヤ人であることをやめること」(意訳;『ユダヤ人問題について(寄せて)』)なのだろうか?

いや、マルクス主義は、そういう方向の思想だと信じているが。
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