TAMO2ちんの日常

思想の嵐 猛(たけ)るとも 正しき道を いざ進め 

 

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投稿者:あとよばれしもの
3時間で読めるなら立ち読みで読めそうです。

 でも、「知ってること」を「確認」する
作業になるかもしれませんよ。

 (そういうときには、わしの業界的には
方法を学ぶという次元に落とし込みます。)

 何を省き、何を残したのか(編集)こそ
が本当は大事なんだっていうのが私らの業界
なので。

 小学生に○経を教えるなんてことはなかな
かないでしょうが…。とりあえず、出だしの
発問は決まってます。

 「お手伝いをした。さて、君は4つのうち
どれがいい。

 1、ありがとうと褒められる。
 2 おやつを増やしてもらう。
 3 おこづかいをもらう。
 4 しゅくだいをやってもらう。」

実は資本論の全てにアクセスできる問いだと
思ってます。
投稿者:tamo2
先日、書店に注文したものに『マルクスる?』という本があります。某所ではベストのマルクス経済学解説本だそうです。内田本に始まり、アホほどマル経関連を読んでいますが、結構売れていると聞くとやっぱり気になります。

「あ」さんもどうですか?
投稿者:tamo2
実は、使用価値と商品価値の関係/峻別こそ、マルクス経済学の肝の一つなんですよね。

効用価値説は、その辺ごっちゃにしちゃう嫌いがありますよね。だから、非マルクス経済学は恐慌を「説明」できない、と。

最近は、イデオロギーを再定立することと、不可能性・限界性を明示することにより、マルクス経済学の優位を描き出せないかとか考えています。
投稿者:あとよばれしもの
ええそう思います。

 そもそもが限界効用説のたとえでよく
コーヒーが登場するんです。

 飲みたいと思ったときの一杯目より
そのあとの二杯目の満足度は低いだろという
物です。

 コーヒーがなければコーヒーゼリーを食べ
る。お茶を飲む。水を飲む。などの代替物に
よる逓減ということも考えられます。

 ここで肝心なのは、個人的な欲望(主観)
が対象の使用価値とその内容のことを指して
いることです。

 コーヒーを飲みたいはその個人内で終わる
ものです。

 しかし、これを
 コーヒー豆を手に入れたいであれば、どう
でしょうか?

 ええ、その豆でコーヒーを淹れるのが目的
であれば、主観が成り立ちます。しかし、その豆を売りたいという目的であればそれは主観ではなく、豆を介した(媒介)社会的な欲望が対象になるのです。

 そういう根本を押さえないで考えるのは危険です。

 価値には個人的な価値と社会的な価値があるが、その関係はとても複雑なのです。(超越的です。)
投稿者:tamo2
少し前、ネトウヨ業界(爆笑)で議論されたネタに「バブルを弾けさせたのは韓国」というものがありました。

はじけさせた奴が悪いのか? そういう問題じゃないだろう! と思いましたね。
投稿者:tamo2
「あ」さんの二つの矛盾を味わってみたいですね。その時間はない。

>・だから、1000円を手にしても10円の価値は逓減しません。

>・きちんと貨幣も価値逓減するのです

上は、記号としての貨幣(=マネーという感じ)。
下は、物体としての貨幣 と思いました。

しかし、マルクスたんも言うように、貨幣の本質は上でしょう。

投稿者:あとよばれしもの
主観的な説明ができないということについてきちんと主観的な説明をしたつもりです。

 貨幣については<使える可能性>こそが価値なのです。

 だから、1000円を手にしても10円の
価値は逓減しません。
投稿者:あとよばれしもの
主観的な説明ができないということについてきちんと主観的な説明をしたつもりです。

 貨幣については<使える可能性>こそが価値なのです。

 だから、1000円を手にしても10円の
価値は逓減しません。
投稿者:あとよばれしもの
欲望の物象化としての貨幣もありますね。(これは結局、超越的
な貨幣のあり方ゆえにですが。)

 欲望が逓減の源泉なので、論理的に貨幣
を求める欲望は逓減しないことを説明でき
るでしょう。

 人々が求めているのは、手にしていない
貨幣なのです。
投稿者:あとよばれしもの
商品としての貨幣と手段として貨幣の
形而上学的な(超越的)結びつきによって
現実の貨幣は存在しています。

たとえば、価値逓減が起こった例を上げる
のは簡単です。
「二千円札」

そして、消費税が導入されるまでの
「一円玉」

きちんと貨幣も価値逓減するのです。
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