「支那」と言えば小生にとってはまずは魯迅である。19世紀から西欧列強に浸食され、それでも自らを変えようとしなかった祖国の指導部と民に対する怒りと軽蔑を魯迅は文学で示している。日本の「自虐史観」なんて、ただの冗談としか言いようのない――だってそれは直接的ではないにせよ、ただの民族主義だから――痛烈な民族的自己批判に満ちた文学である。「精神勝利法」という皮肉の解釈を率直に受け取れば、民族的告発である。あるいは、「食人」の狂人日記。これらの忌まわしき事柄に魯迅は「支那」という言葉をオーバーラップさせていたと記憶する。中国の近代化のために戦った人たちは、「支那」という言葉から魯迅らにまつわる記憶を呼び覚まし、嫌悪感を示す。それは分からないではない。
しかしそもそも「支那」は地理的概念であり、清国も自国の版図などを示すために支那という言葉を使っていたとのことである(Wikiなどから)。支那竹、支那そばは西日本では今でも普通に使われ――嘘だと思うのなら徳島ラーメンのお店を巡ればいい――、そこに差別的意図を感じることはない。少なくとも日常では。
だが、ここ5年ほど思うのだ。「国民国家」という近代西洋ルールに過ぎない概念が、世界中で戦争の危機を齎し、領土問題を齎している事態を考えれば、かつての「支那」という概念こそが、可能性を持っているのではないかと。
「支那」の版図は、確定的に「あそこからここ」というものではない。もっとぼやっとしたものである。ここからこれは俺の国のもの、ここから先はあんたの国のもの、ということを明確にするばかりではなかった。たとえば、「大清国属」朝鮮と「朝貢国」日本の間にある竹島(独島)は、2000年の間そういう感じで処置され、実体としては日韓共同で利用してきたようである。実利と実際のほうに国境の運用を合わせてきた。
恐らくはジョン・ロックを起源とする「私的所有」概念の延長の「国家による排他的所有」概念は、早晩行き詰まりを見せるであろう。そのとき、「支那」という方法はもっと注目されて然るべきだと思う。
これは同時に、近代国民国家として建設された現在の中国に、多くの点で後退を要求するものである。「支那」が遅れた「あの辺」の概念として現状あるのを踏まえつつも、いち早く近代国家としてまっしぐらに進んできてドンツキに突き当たっている日本の民としては、そんなことを考えてしまうのである。
「「支那」、、、最先端だね」となれば、ポスト・モダンという概念も本当のことだったと、ならないだろうか??

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