TAMO2ちんの日常

思想の嵐 猛(たけ)るとも 正しき道を いざ進め 

 

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投稿者:キンピー
http://chousayoku.blog100.fc2.com/blog-entry-710.html
http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-949.html

これらのブログでは911陰謀論者(考え方の違う人たち)にどう向き合うかという議論をしていらっしゃるのですが、上記のブログでは結局のところ教化に行き着くのだろうと思いますし、下記のブログでは真実の追究をしようとなさっているわけです。
しかも科学的に。
これはおそらく対立が激しくなるだけでしょう。
私からすれば余計な配慮と余計なお世話だろうと思うのですが、しかしこれは優しさと信じるものへの強さの表れなのでしょう。
もちろん考えの違う人と議論することもあれば批判することもあるでしょうが、善意によってどうしても対立を鋭くさせてしまうというのはある種宗教論争に似ているのかもしれません。

混沌は混沌のままに受け入れるということが必要なのかもしれませんね。
投稿者:TAMO2
まっぺん様:
こういう問題は、小生はむしろ宗教の問題だと捉えています。

宗教は個人の「救済」を通じて世界の救済を考えます。「一切衆生」というものは、「類」というのっぺりとした概念のことではなく、「あなた」や「私」のことです。

共産主義による解放は、逆の方向があるように感じます。「人間は社会的諸関係の総体」であるという言葉から、関係性の変革を主としてますよね。まずは「類」としての「階級」が問題になります。

連合赤軍の「共産主義化」で考えるべきは、どうして「社会的諸関係」の変革を目指すものが、個人のライフスタイルめいたものの糾弾に行き着いたのか、ということ。この批判の仕方はむしろ、宗教の課題のように見えるし、彼らの提起した課題は、宗教のほうにむしろ近いのではないか、と。


どうして、「赦し」が先になかったのか。若いからか。

前衛は「完全」を演じなくてはならないのか。

ちょっとまとまりません。すいません。
投稿者:TAMO2
虫の息様:
親鸞聖人は「何も持っていない」ことを明らかにした人だと思っています(笑)。

さて。逆説・矛盾に満ちた現世は理屈通りにならず、原理論とか、分かりやすい言葉で説明出来ないことが多すぎますよね。

たとえば今、仕事で流体解析とか粘弾性流体とかを扱っていますが、日常のコトバでは多分表現できない世界です。

何にせよ、突き詰めていけば
「我々凡愚の衆生は、普通の言葉で、普通の話を普通に理解したい」
欲望が叶わないところがありますよね。

それは大別して二通りあり、積み上げた先で「普通」でなくなること――流体解析は“一応、誰でも分かるニュートン力学”を基礎に先へ先へ進んでいって、「普通」でなくなっている――、それとは別に天啓とでも言うべき 気付き によるものがあると考えます。

もし、そうでなければ、外部注入論=前衛主義なんか、思いもよらないことだと思います。
投稿者:まっぺん
拝読しました。思想的にはTAMO2さんとは対立する部分もあるのでアレですが、「永田さんの場合は個人として引き受けられること以上の罪業がのしかかった」という部分、まったく同感です。私はいま「人民食堂」で「レーニンの罪」に拘泥する某氏と消耗な議論をしていますが、レーニンも含め、過去の歴史の上に築かれてきた「共産主義者の誤り」の最も悲惨な結末として日本の「共産主義者」になろうとした人々の行動を見ることになった、と感じています。そしてご指摘のとおり、それは共産主義的未来に人類の希望を見出そうとしてきた者(こういう表現をするのは、自分が「共産主義者だ」と断言する自信がないからなのですが)として、永田さんとつながるものを持っている事を「自覚した総括」でなければならないと感じています。

だからこそ、「他人事」ではないし、「安らかに」と、まるで終わった事のようには言えないし、「死者にむち打つ」事を控えることはできない。ひとりの人間としての彼女自身に対する憐れみの情はわきますが、それは彼女の「罪」を許すことにはならない。彼方の未来に「同じ光」を求めてきた者として、「戦術・手段が違うから」と自分の問題から遠ざけることはできない、と思うのです。
投稿者:虫の息
>だから、連合赤軍のような『悪霊』的世界は、宗教家こそが問題にしなくてはならないはずです。

浅間山荘のTV中継を見ていてMKは、凍りついた顔からは、涙滂沱して止まずの状態
でした。間欠的に襲う膵臓がんの痛みに耐えていたのかもしれませんが・・

対立するまでに至ったMKでしたが、「何故?あの時、徹底的な論争を放棄したのか?何故、あの時、見捨てるように分裂を容認したのか?」京浜安保共闘を組織したMKの最初の感想は、あくまで、方針をめぐる組織の分裂から対立へ至る過程への処理への悔恨だったようです。

後、明らかになった悪霊的世界?についてMKが何を言っていたのかは記憶にありません。37歳?東京日赤病院で亡くなったときいています。

総ての組織が、悪霊的世界に陥るのかどうかは知りませんが、少なくとも連合赤軍は陥りました。
親鸞様が特効薬をお持ちかどうかも知りません。
我々凡愚の衆生は、普通の言葉で、普通の話を普通に理解したいと思います。
投稿者:TAMO2
あるみ様:
マルクス主義のテーゼの多くは「常識」になっています。そのことを自覚している不破同志はこんなことを。
http://red.ap.teacup.com/tamo2/1395.html

次。まさに、原爆投下なんざあ「縁」がなければ不可能。「極楽往生」は譬えとして言っております。
投稿者:あるみさん
>小生はもはやマルクス主義党派は死滅すべきだと思うのだ。日本左翼の将来のために。
少し投手の言わんとされていることが理解できたような気がします…てか、「マルクス主義じゃ〜っ」て大上段に構えなくても、マルクス等の目指した社会をつくることは、できるのでしょう。

>親鸞は言った。「人を千人殺しなさい。極楽往生間違いなし。」何とも恐ろしい言葉だ。
話は少しずれるかもしれませんが「千人殺す」際には、返り血を浴びたり、断末魔の悲鳴、命乞いその他モロモロを聞くことができる時代ならば成り立つが、スイッチポンで何万人も殺せる時代ではどうなるのだろうか?

”スイッチポン”ではないけれど、毛沢東が何万人も「殺した」時、彼は返り血も浴びず、断末魔の悲鳴を聞くこともなかったでしょう。


http://tatakauarumi.cocolog-nifty.com/blog/
投稿者:TAMO2
けんちゃん、こんばんは。『悪霊』(ドストエフスキー)はマルクス主義批判として読まれてきたわけですが、あれ、むしろ、宗教批判なんですよね。それは世俗宗教ではなく、ガチの宗教。

だから、連合赤軍のような『悪霊』的世界は、宗教家こそが問題にしなくてはならないはずです。
投稿者:けんちゃん
重たいですね。当時京浜安保共闘を意識していた田舎の毛沢東主義者の高校生でしたから。

 39年経過しても未だに「連合赤軍」の総括はできません。とても重くて難しいからです。

 http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-6358.html

 連合席軍事件は、日本の左翼運動の「ブラックホール」です。ええかっこ言った所で、すべてそこへ吸い込まれてしまうからです。

 今でも物凄い重力で引き込まれます。

 「永田洋子の死で終わった」という人がおりますが、とんでもないことです。

http://dokodemo.cocolog-nifty.com/
投稿者:TAMO2
この文章は「宗教」的に書いたもので、「真向かう」という言葉を意識しました。
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