まあ、排中律が成り立つならば、これは革命の可能性について考えることでもある。
で。色々な革命党派が人類史上にあった。だが、そのうち成功したものは数少ない。もちろん、毛沢東が言うように、「負けて負けて負けて最後に勝つ」から、少ないのは当たり前ではある。その上で、革命の原理というものから考えても、中々成功するのが難しいものだと思うようになってきた。
まず、革命は、どういう条件で可能か。革命を成功に導いた、あるいは、幸運にも革命の指導部に立っていたレーニンの言葉を。
一般的に言って、革命的情勢の徴候とは、どんなものであろうか?つぎの三つの主要な徴候をあげれば、たしかにまちがいではないだろう。(1)支配階級にとっては、いままでどおりの形で、その支配を維持することが不可能なこと。「上層」のあれこれの危機、支配階級の政策の危機が、割れ目をつくりだし、そこから、被抑圧階級の不満と激昂がやぶれ出ること。革命が到来するには、通常、「下層」がこれまでどおりに生活することを「のぞまない」だけではたりない。さらに、「上層」が、これまでどおりに生活していくことが「できない」ことが必要である。(2)被抑圧階級の欠乏と困窮が普通以上に激化すること。(3)右の諸原因によって、大衆の活動性がいちじるしくたかまること。大衆は、「平和」の時代にはおとなしく略奪されるままになっているが、あらしの時代には、危機の環境全体によっても、また「上層」そのものによっても、自主的な歴史的行動に引きいれられる。
(『第二インタナショナルの崩壊』(大月書店国民文庫p36)
これは、かなりの追い込まれた状況ではないか? 具体的には、内戦、内乱が想定されるとき。戦争を想起される人もいるであろうが、革命的大衆が社会的に主導権を握って、支配層が押し付ける戦争に反対できる状況、というのは、それほど多くはない。
ともあれ。革命が成功するには、それまでのシステムが全面的に権威を失い、機能が崩壊するときということであろう。革命党派というものは、その稀なる状況に備えるもののことを言う。(だから、xxを守れ!しか言えない日本共産党などの多くの日本の左翼党派を、間違っても「革命党派」だとは思わないこと。)
革命情勢で立ち現れるものは、その時点での社会矛盾の徹底した割れ目であり、過去との不連続なのだ。革命前の過去にあって、革命後の未来を準備すること。そのために必要なことの一つは、革命前の世界に意識の上ではどっぷりと浸かり切っておぼれてしまわないこと。正確には、その世界が自分にとっての全てと思わないこと。よく「唯物論」という。唯物論は現実を「ある」と信じる体系のことである。だが、それは往々にして現状追認に過ぎず(タダモノ論)、マルクス的な、あの偉大な弁証法的唯物論にはならないであろう。弁証法の体系は、言うまでもなく「正」「反」「合」である。その場合、「反」をどこに見るかが大切なのだ。たとえば、「疎外」という現実に対する「怒り」が、「反」たりえるし、「物象化」に対する「本来的関係への憧れ」が「反」たりえるだろう。「理論といえども、それが大衆をとらえるやいなや、物質的な力となる。」(『ヘーゲル法哲学批判序説』) 大衆の心、そこまで含めて唯物論だと小生は思う。
ちょっと脱線した。平時において、その社会のシステムの破れ目、ほつれ目、来るべき崩壊を予想し、現実をしっかりと見据えつつも、それを全てと思わないこと。新しい未来は確かにある。だがだが。
社会主義革命の担い手は労働者とされる。労働者は賃金を得ることで生活をする。そして、多くの労働者は#今や#、支配的システムの仕事を分有し、責任を有する。要は今や、ブルジョア社会を文字通り責任を持って支えているのだ。革命を忘れない労働者と雖も、否、大昔、共産主義者に有為の人材が集まっていたような時代ならば、革命を忘れない労働者だからこそ、ブルジョア社会に対して責任を持つであろう。彼らは責任を全うしようと努力し、割れ目・ほつれ目に対してパッチを当てようとする。このことは往々にして、かなり劣化したシステムを必死に支えることに帰着する。今の資本主義の枠組みが、もうダメっぽく見えながら、続いているのもこういう仕事によるのかも知れない。
さて。ちょっと見方を変える。ロシア革命が成功できたのは、ツァーや臨時政府の権威が崩壊し、これらのシステムに労働者と農民が従わなかったからだ。工場は、最大のプチロフのものであったとしても、歴史は浅く、労働編制などの管理様式は今から見れば簡易なものであった。基本的に、労働者たちの父母の殆どは農民であった。素朴な、不在地主の農村の農民! ロシアの農村は、いわゆるミールという形態を取っていた。原始的とも言える共同体。あのマルクスがザスーリチに宛てた手紙で資本主義を乗り超えて共産主義的共同体の母胎になるかも、と言ったミールである。これから言えることは、ロシア革命は「帰るべき」農村の革命であったとも言える、ということである、少なくとも意識の上では。それは、後進国資本主義における工業の発展と必ずしも矛盾するものではない。高度経済成長期の日本を思い起せばいい。小生の父母の代には、代えるべき故郷=田舎は多くの労働者にあったのである。そして、中国の革命は、まさに農民革命であった。
ロシア革命にせよ、中国革命にせよ、労働者・農民は、システムの外部に易々と移行できる存在であった。システムの破綻が明らかになったとき、彼らは、システムを見限り、外部に出て、外部からそれをやっつけることができた。それを体現したのがボリシェヴィキであり、中国共産党であった。このことからは、革命とは外部からの打撃でなされるべきものと言えなくもない。ロシア革命の頃、戦争国家=福祉国家を完成させつつあったドイツ――かつて世界革命の震源地とみなされたドイツ――においては、労働者は革命=外部ではなく、国家=システム(内部)を選んだ。だから、ドイツ革命は失敗の運命にあった。ノスケ、シャイデマンらの「裏切り」は、まさにドイツ労働者階級の選択であったのだ。是非を言っても仕方がない。
ここまで書いた革命は、システムの外部からの攻撃、というイメージである。
さて。別の革命の法則もある。『資本論』のあの有名な、第1巻第24章を引用してみよう。
資本は、この資本とともにまたそれのもとで開花してきた当の生産様式にたいする桎梏となる。生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本主義的な外被と両立しえなくなる一点に到達する。この外彼は爆破される。資本主義的私的所有の弔鐘が鳴る。収奪者が収奪される。
ここに示されるのは、システムの自壊である。何らの外部は表現されていない。但し、ここにはシステムを担う「人間」は直接には表現されない。革命を担うのが人間であるならば、上に描いたような「内部」「外部」の問題を、革命の現実を考える場合には、考えないわけにはいかないだろう。
そういう次第で、システムが複雑になり、労働者の担う仕事が、たとえば『共産党宣言』に描かれたような単純労働ではなく――後に、死の直前のエンゲルスが労働の複雑化、高度化について描いている――、「責任ある労働」として、多くの労働者が複雑な労働を通じて支配的システムの維持に従事している中、労働者は「内部」にどっぷり浸かることを余儀なくされていることは踏まえるべきであろう。このような状況で、どのようにして、あるいはどのような位置から「外部」=「オルターナティブ」を訴えていくことが可能なのであろうか? 注意しなくてはならないのは、「外部」を措定できるとしても、その外部をいずれ支えるのは、「内部」のものたちである、ということである。
革命が不可能であるとすれば、それは「内部」にどっぷり浸かり、「外部」を想像することさえ困難な状況にあること、「外部」を頼りにできない状況であることだと思う。レーニンは言った。「切符を買うための行列がある間は、ドイツ革命は成就しない」と。それは言い過ぎであるにせよ、秩序に従う=内部を信じる 限りは、本来革命は不可能なことである。と、同時に、内部にいる人間の協力なくしては、革命は不可能である。
内部にいつつ、外部を意識し、そのために働く。新たなる革命は、そういうものとして現れるのか。あるいは、内部にいるものさえ、意識の上では外部に弾き出されるような、徹底した破滅の上に来るのか。前者ならば、変革の様式は革命というよりは改革・改良とでもいうべきものになるであろうし、後者ならば、北斗の拳的な世界がやってきそうな気がする。

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