TAMO2ちんの日常

思想の嵐 猛(たけ)るとも 正しき道を いざ進め 

 

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投稿者:TAMO2
諧調様:
まずは国家と暴力の分離の道筋(理路)を示しておくべきだと考えています。
投稿者:焚火派GALゲー戦線
 中曽根・安倍・TAMO2に関連する上部構造と下部構造のシンクロに奇縁を感じることがありましたので某スレを上げております。
個々の議論は極めてよくわかるのですが、全体としてはどこへ向かうのかがもう一つ見えません。
ネグリ&ハートの議論をもう少し現実味のあるものに修正していこうとすれば、彼らの「私」「公」「共」の布置を見直す必要があります。
TAMO2さんの場合、「公」を土台に「私」を上部構造に配置し、「共」をその中に散在するものとして捉えるというのが新しいと思います。
分析の枠組みとしては非常に納得がいくものなのですが、しかしその中でいかにして「私」の簒奪に対して「公」の役割を復権し「共」を産み出していくのかについてはやはり不透明です。
まあ、当然のことながらそう簡単ではないのですが。
投稿者:田中革命
人は自分の意識ではなかなか変われない。しかし、時に外側の条件が変わると短期間の間に新しい関係性が築かれ、それが構造となる。こんなことをフーコーが書いていたような・・・(気のせいか)。どんな仕掛けをすれば構造を変えてしまうようなインパクトを与えることができるか、それを考えながらいろいろ仕掛けてみるべし、ということでしょうか。
投稿者:TAMO2
田中革命様:
誰かなあ、と思ったら、いやあ、懐かしい!
メールしますわw

帰れの唄が聞こえてくるよ、とか、懐かしいです。

あと、自慢の危険物=俺の肩はぶっ壊れてしまいました(涙)。
投稿者:田中革命
K寮の後輩のOです。ご無沙汰。
いやいや、相変わらずの切れ味。
冒頭の議論を読んでいて「こんな情勢の中では、若者は左翼か右翼になるしかない」というYのおっさんの言葉を思い出しました。最近ではそのどちらも力を失い、若い人は八つ当たり的なレイシズムに走らざるを得なくなっているのかもしれません。
投稿者:TAMO2
皆様、コメントありがとうございます。

コメントを参考にしながら、書き進めていきたいと思います。
投稿者:地鶏
とても眠いのに読んでしまいました。
しかも、TAMO2様のように理路整然と長文を書くのは年のせいかなぜか無理。

在特会のような、については、実は日本が長きに渡って軍事から目を背けてきた結果なのではないかと思います。
徴兵制の下では好戦的にならないと書かれていたことがありましたよね?
それもありますし、人間のオスには闘争本能のようなものが組み込まれていて、どこかで発散されなければいけなかったのではないかと。
ところが "9条" のもと軍事が文化面からもタブー視された結果、それは特撮やアニメというツールで代償され、結果、稚拙な軍事観・外交観をはびこらせているのではないか−−まあ諸外国の大衆における軍事観のことは何も知りませんが−−。
あるいはまた、9条による "外交ツールとしての" 軍事力の否定とは、すなわち近代国家のアイデンティティを不完全たらしめることであり、不完全な国家観が郷土愛、愛国心への抑えきれぬフラストレーションをもたらしたのではないかとも思います。
このあたりの心理が、軍事基地を置く(つまり力の象徴でもある)米国には従順でありながら、一部ご近所への異常な嫌悪になっているのかなあと。

あと「労働者階級こそが富を産み出す」について、直接の関係はないのですが、「植物と人間」(宮脇昭)の終盤に書かれている「地球上の生物社会の主役は実は緑の植物である」という一節が浮かびました。
地鶏の世界観のひとつとなった一節なのですが、TAMO2様、もし未読の書であればどこかでお目にする機会があればと思います。
真の生産者たる植物の生態学を知ることは、この世界、人類のかたちを理解する一助になるかと思います。
投稿者:焚火派GALゲー戦線
>在特会的なプロパガンダと行動では何も解決しないことに気付いた時、革命的暴力の担い手となる可能性を考えることは出来ないだろうか

 「リア充は死ね」は良いと思うし、相当部分の「ネトウヨ」も旗旗さんが言うように、いい年になれば自分の若気の至りを恥じるようになるとは思います。(考え方のベクトルまで変わるかはともかく)
 また、そのうちの何人かは左翼や人権派に衣替えするのは間違いないと思います。
 ただし、層としての彼らが上記引用の担い手となるかは疑問視しています。(フジという保守系メディアへの反韓デモを革命的暴力の一歩にする者も必ずいるとは思うが、多数派にはなりえないかと。)
 なぜ、多数派になりえないかって? 朝鮮系住民を襲撃・非難しながら、米兵が沖縄の住民襲ってもそれを非難してアメリカ系住人を罵倒したという話は聞きません。 弱きを助け強きをくじくの心がありません。 彼らとて、心底では在特会的行動が自分の社会的地位の向上をもたらさないことが自覚できないほど彼らは愚かではありません。 それを心底では気づきながらの行動なのです。 被抑圧国の民衆が掲げる強国への排外主義は多少アレ(義和団の扶清滅洋、甲午農民戦争の逐洋斥倭)でも将来の反体制につながります。
 しかしながら、任侠の心なき帝国主義本国のマイノリティーに対する抑圧行動は層としての反体制になりません。 ナチの反ユダヤ・反ロマ(ジプシー)、アメリカの日系人差別や「ジャップ的心性」・黒人等への差別等々。
 もし、こういったものが高い確率で層としての革命的暴力に結びつくなら1960年頃までに先進国革命が起きていただろうと思いますがね。
投稿者:トテトテトテ 
タマです。飼主は言います。

>バトル=ロワイヤルゲームに帰着する

その通りだと。

しかし「安全性を欠いた社会」の永続こそ、実は資本主義のお家芸である。むしろ「不安定な社会」が巻き起こす様々な現実=社会的危機から生み落とされる数え切れない諸商品の流通、さらにそこから計上される剰余価値部分を資本とした市場への再投下、またその繰り返しによる新たな危機の創出も、グローバリゼーションという言葉に含まれる。

新たな危機とは何か。いろいろあろうけれども、いまの韓国が経験中のような、さらなる格差社会の現出ははずせないところ。従って「団結」なのかな、と。

とはいえ、一方の「団結」はすぐさま他方の「団結」を創設する境界線を引いてしまいますよね。思い出しませんか。「緩やかな繋がり」という概念が提唱されだして以後、一体どれほどの年月が過ぎ去ったのかと。

トテトテトテ〜。
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