餃子の王将、通称「京都の王将」の社長が、山科の本店の駐車場で射殺された。犯人、理由などは全く不明で、大変不気味な事件である。
さて、関西人には王将の思い出がある人も多いであろう。ここでは「大阪王将」と「京都王将」を区別しない。小生も餃子10人前を二回達成したり、色々とある。初めに常連になったのは、高校の帰り道にあった玉造の王将。今はその店舗はない。ここの店主は、当時20代後半くらいだったと思う。阪神タイガースにいた若菜捕手に似た風貌。「餃子包むとこ見せてえな」と頼むと、マッハのスピードで包んでくれたり、「これ、焦げかけで商品ならんから、食べてな」と言って餃子をくれたり。自分たちが入店していたのは、午後3〜4時の暇な時だけど、夕方なんか凄まじく忙しそうだった。店長曰く「王将の仕事はキツいけど、給料はええねん。ここで3年働いて、ミナミに店を持つんが夢や」と言っていた。高校を卒業して数年後、王将に訪ねたら、店がなくなっていた。夢は実現したのだろうか。
次は、百万遍王将。通称「ヒャクショウ」。店員はヤンキー。ってか、噂では暴走族のツレ同士だったらしい。物凄いイラチ。いや、別に客に当たったりするわけではないが。とにかく手が速い。常連になると、「この人はいつも餃子を頼む」とか覚えている。小生の場合は、餃子2人前+焼き飯、がデフォだったので、着席すると同時に餃子2人前が。違う場合は、着席前に申告しなくてはならない。そしてその焼き飯は豪快に炒められたものだったので、とても美味しかった。多分今もある。百万遍を西北に行ったところだ。ちなみに農学部前は「ノウショウ」。ちょっと嫌な名前だ。
他にも、石橋(大阪)、平野、色々と思い出がある。平野の王将は、自分が行っていたのは平野駅東側の踏み切りのちょっと東。裏のおじいさんに聞いたら、「昔(大正時代)、この辺は河が流れててなあ、そこを埋め立てたところやさかいに火事出んかったらええねんけど」と言っていた。すると、本当に火事が起きて店がなくなった。その後に入った店も火事で潰れている。今は大丈夫か?
新居浜の王将は、値段が高かったなあ。繁盛していたけど、店がなくなった。理由は分からない。ってか、あの辺、うどんの圀といい、繁盛しているところが潰れる。不思議で仕方がない。
とにかく、事件の解決を願うばかり。

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