TAMO2ちんの日常

思想の嵐 猛(たけ)るとも 正しき道を いざ進め 

 

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投稿者:トテトテトテ 
タマです。飼主は言います。

>三島が生きていたら、今の「右傾化」の薄っぺらさを激烈に撃っただろう。

だろうと思います。

>三島の文体は整序的(アポロン的)で煌めいている。

「文体」もそうですが「三島の<生涯>は整序的(アポロン的)で煌めいている」と、見ることも十分できると思っています。善悪とは別の意味で、三島は作家になるもっと前、おそらく少年期のうちには既に大層緊密かつ計画的な生涯設計を終えていたのでは。その実現過程が作家になってからあるいは大蔵省入省以後に本格化した三島の人生だったのではないでしょうか。

>足に障害のある友人が出来る

足に障害のある人間を好きになる女はどういうタイプの女か。「友人」にこう言わせています。

「大体において飛切りの美人で、鼻の冷たく尖った、しかし口もとのいくらかだらしのない」(「金閣寺・P.114」新潮文庫)

このステロタイプな表現。実際、女性と三島の交遊関係は決して少なくなくむしろ一般以上に幅広いと思われますが、なぜこうもステロタイプな表現を不用意としか言いようのない筆致でこの部分に嵌め込んだのでしょう。思うに、

>青春の狂気と決別するために書いたのでは

というより、「青春の狂気と決別<したフリを>するために書いたのでは」と感じます。だからその部分はステロタイプでいいわけです。時期的に見れば小説家としての三島はもっと成熟していたはずですし、何も好きこのんで「一青年の総括」ぶって見せる必要はなかったでしょう。

同時代の読者にとって「金閣寺」は最初「とても深刻に」読まれたようです。そのうちジュネや寺山修司らと並んで「サブカルチャーのバイブル」の感を呈してきます。今はかつてとはまた違った意味(絢爛たる文体とか)で「深刻に」読まれているようですが。個人的には「サブカル王道的」位置付けです。サブカルにまだ強烈な存在意義があった頃の。

とのことです。トテトテトテ〜。
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