『愛と暴力と戦後とその後』(赤坂真理著、講談社現代新書=2246)
小生と同世代による戦後日本論。論点や結論は、白井聡氏の『永続敗戦論』とかなり被る。
著者は、子供の頃の体験を最初に書く。電線工事をしていた工員が感電死するが、死体はすぐに処理されて次の日から何事もなかったように日々は送られ、あの事故は本当にあったことかどうかも分からない、と。戦後日本は様々なものを破壊・隠蔽し、「何事もなかったように」日々の営みが続けられた社会であることを暗示する。否、明治以降の近代日本がそうではなかったか、と後のほうで触れる。だが、「何事もなかったように」過ごすことと、本当に何事もなかったということは違うのだ。
著者とその母はいずれも一六歳で人生の断絶を感じたらしい。著者は米国留学と失敗、母は日本の敗戦。アメリカは勉強が出来ることと性的に魅力的なことの両立がこの歳にして求められるらしい。優秀で陽性で社交的。それでいてプロテスタンティズムの禁欲的な社会。日本人には無理があり過ぎるよね。母は英語が出来たので、GHQのBC級戦犯の文書に触れることがあったようだ。著者がその経緯を聞くときに天皇の戦争責任や原爆や空爆の責任について触れると母は口を閉ざす。日本人によって隠蔽されたものがある、ということだ。「昭和天皇は、よじれがそのまま一個の肉体となったような存在」(p41)である。天皇に仮託された日本人の姿は、「被害者でもあり、加害者でもある自らの姿」(p42)なのだろう。敗戦後の天皇が巡幸し、民衆の歓呼に迎えられたのはそれゆえの共感なのだろう。そりゃあ日本人は天皇を裁けない。かくして日本人は歴史を忘れたふりを通じて今や忘れている。近現代史はまともに学校で教えない。歴史の不在=民族の不在。これは左翼のせい(だけ)では決してない。民族死滅の恐るべき実験をやっているようにも見える。あ。真珠湾攻撃はだまし討ちではないと、東京裁判で決定しているんだ。
著者は憲法の「憲」の字の意味を知ろうとする。すると、「憲=掟」であることを知る。同義反復。これをきっかけに、わが国では国語の歴史や成り立ちを教えられていないことに気づく。そして、漢字は「中国の文字」であることの重大さを知る。他者の文字を「自らの文字」としちゃうことの痛みと危険。同じ言葉を用いていても、深いところでの受容は個々人で違うのではないかということに気づく。その危険は対話の危うさを齎す(って、ポスモダ世代には常識だよね? 日本語だけの問題でも実はないのだが。)さて日本国憲法。平和憲法。一方、朝鮮戦争とベトナム戦争特需で復興したり高度成長した日本経済。戦争の恩恵を受けながらの平和憲法という矛盾。でも、九条の前に天皇の条項があり、構造上はそちらが上位なんだよね。そういう構造にしたのはアメリカである。そして、「戦争の放棄」の放棄は、原文では renounnce 。他者の言葉で「私はこれを自発的に捨てる」と言わされて、噛み締めて出来た憲法。まあ、下品な喩えなら、ヤクザが女性をソープに沈める時に、自分から行きます、と言わせるようなもの。こうして「世界に冠たる平和憲法」は出来たのだ。そして、民主的諸権利などは、その下に位置する。侵略戦争は invasion ではなく agression 。直訳すれば「攻撃戦争」。さて、漢字の話。中国人曰く「日本語は漢字を勝手に読んではいけないから難しい」。言葉が通用しない地方同士を結ぶための道具として本家では発達した漢字。読み方は自由だった。日本では「未曾有」を「みぞゆう」と読んだ首相が教養の観点から馬鹿にされた。この馬鹿にする態度が、亜細亜蔑視に繋がっているのではないかと著者は言う。一方、漢字はそもそも「他者」の言葉だから、乱れるときは大いに乱れる。そのような文字を日本は持っていることに自覚的でなくてはならない。「他者がまるごと、しかも織り込まれるように、抜き取れないかたちで入っている。」(p76)
ドラえもんのジャイアン。実は、ガキ大将という地位に「遅れてきた少年」。戦後の一時期、建設ラッシュの関係で「空地」が都市近郊に一杯出来た。そこを巡っての争い。小生も経験あり。ガキ大将の頭脳参謀として(喧嘩そのものは弱かったのだ。)ガキ大将の仕事は喧嘩よりも交渉。ジャイアンにはその素質はある。それが発揮されるのが「綺麗なジャイアン」。だが、ジャイアンの世界には相手がいない。(草野球くらいか? でもそれは場所を巡る喧嘩ではない。いや、「ジャイアンズ」監督として既に交渉していたのかも) ジャイアンは鬱憤晴らしで癇癪を起こす。居場所が既になかったのだ。ジャイアンはいじめっ子のように見えるが、一線を超えない。著者の身近には「第三原っぱ」という空地があった。元陸軍の幹部の土地らしいが、戦後に開放したらしい。子どもが最も遊びたい空間である。戦前の上流階級の置き土産。戦後は勉強が出来たら成り上がれると言われたが、実は戦前には士官学校がそういうものとしてあった。明治維新後の新上流階級としての軍。彼らは今の上流階級よりも懐が深かった。でもね。没落資本家の末裔として言うけど、戦前の格差は今とは比較にならないんだよね。逆に言えば今の上流階級には意外と余裕がない。ともあれ、空地はなくなり、私有地と変わっていった。今や私有地で怪我でもしようならば、所有者が裁判で訴えられる。となると、仮に空地があったとしても遊ばせないように囲われる。子どもたちはファミコン(私有)の狭い世界に入っていった。そして今やポータブルゲームという「超所有」。最近の子は恋愛がヘタと言われる。これは、空地や喧嘩が排除された結果ではないか。で、実は、これ、差別やPCの問題と結びついていると小生は思う。多くは語るまい。反差別行動に凄い違和感があるのは、同和教育で教えられて「それは正しい」と思ったことが今や不正義とされているという面もある。「身に染みる共感」の想像の余地が、私有化の流れで潰されていったことの象徴が、空地、ひいては田園風景の破壊であろう。
60年安保。戦後最大の異議申し立て。主力は戦後民主主義教育を受けてアメリカに親しみを覚えていた学生たち。戦後しばらくはアメリカの一人勝ちの時代。それは日本経済が良かったときでもあった。アメリカはいつも武力を背景にルールを持ちかけ、押し付ける。日米安保は実は最初は盛り上がらなかった。反米意識も余りなかった。だが、岸が民主主義の手続き論を無視するがごとき国会運営をした時に、世論は沸騰した。「(アメリカから頂いた)民主主義を護れ」と。だが大衆が動いたことは民族として記憶されない。米軍を立ち退かせた砂川闘争や大規模だった新左翼闘争しかり。彼らはどこに行ったのだろうか、と著者は言う。語らないのだ。あさま山荘事件の鉄球作戦は、東京オリンピックの記録映画の反復、か。マトモに考えればあり得ない作戦が大衆に支持された理由。日米安保条約の構造。「日本が欲し、アメリカにお願いする。日本が保障し、アメリカは受け容れる」。自分の中にはない欲望を、他人の手で自分の欲望として書かれる構造。吉田茂にあっては打算だったはず。だがそれが自己目的化=倒錯に至った。背景には共産主義の脅威。国内の反体制運動が共産主義に染められたのは、最強の反体制の選択肢だったから。同時に、核をちらつかせる共産圏から日本は米国の核の傘に守られていた。アメリカは日本を脅してこう言った。(ホイットニーから白洲次郎へ) "We have been enjoying your atomic sunshine". 一皮剥いたら凄まじい暴力の対抗である冷戦の中、日本は「平和」を選択出来た。(勿論、韓国、台湾、ベトナムの犠牲の上に)。岸は藁人形だったのかも知れない。日本人は自らの手で戦争責任を追及し、裁いたことがない。元A級戦犯の岸はそういう意味で藁人形だった。通過儀礼としての六〇年安保闘争。では、七〇年安保とは?ベトナム戦争とリアルタイムであったことを見落としてはならない。若くて、純粋で、ベトナム特需で潤っている我々への自己否定。だが、自己否定は自滅に繋がる。そしてそうなった。一方、戦後日本の欺瞞を誰よりも見抜いていた三島もまた割腹自殺。自衛隊員に罵られながら。左右とも内向きの暴力で沈んだ。そして政治的異議申し立ては左右とも一旦なくなった。
一九八〇年。著者は米国留学。帰国時、空気が変わっていたと言う。これは分かる。マンザイブームから続くテレビのバラエティー化。今では信じられないが、それ以前のテレビはもっと信用されていたと思う。そういや、報道ステーションという、ニュースのバラエティー化もこの時代からだな。テレビはトレンディードラマで満ちて行った。戦後を色濃く感じさせるものは急になくなった。それ以前は「みなしご」「疑似家族」「捨て身の攻撃」という戦争を思わせる題材で満ちていたのに。恋愛オンリーは飽きられ、韓流のダイナミズム、ひいては今は刑事もの、医療ものが多くある。戦後日本の福祉を支えたのは日本企業などの民間と家庭。戦災孤児は民間に押し付けられて「自己責任」に任された。アメリカの一人勝ち世界でなくなっていったとき、自己責任が強調された。そして今は不安定雇用が渦巻く世界。その変動の一歩目が一九八〇年ではないかと著者は言う。八〇年代を生き延びられなかった二人の女性、岡崎京子と鷲沢萠。時代の疾走に追いつけなかったということか。一九八一年には戦後が感じられなくなった。著者の母が敗戦で感じた断絶を著者は一九八〇年に感じる。様々なことが内向きとなり、ひな壇芸人が現れた。ヤンキーっぽかったYMOは糸井重里と同じく「資本の走狗」化していた(と言ったら怒る人いるな)。実感から離れたポストモダンの言説。小生もまた時代の嘘くささを感じていたが、そういう時代だった。一九七四年、ジーパン刑事こと松田優作は戦争で起きた大量の「犬死」を代表するかのごとく、作中で「なんじゃあ、こりゃあ!」と叫んで死んだ。「死にたくねえ、死にたくねえ」と言いながら。伝説の場面である。それは戦争を知る世代の慰藉だったのかも。一九八〇年、探偵物語の一シーン。高層ビルの建築現場で「私たちも貧しかったけれど」と女の子がつぶやく。最終回の工藤ちゃんは刺した相手にナイフを渡し「みつかるなよ」と気遣い、恐らくは死を受け入れる。時代はここから空地の完全殲滅とバブルに向けて疾走する。バブルを象徴する岡崎京子の『ヘルター・スケルター』。美容整形の自転車操業。自らの不良債権化。バブルは決していい時代ではなかった。心身を壊す者が多数出た。美人競争の極致と崩壊。自分を見失う。特に同調圧力の高い日本にあっては。
一九九五年。阪神淡路大震災で終末感を関西人が感じていた頃、オウムの地下鉄サリン事件が起きた。福島第一原発を「サティアンみたい」と著者は思った。石原伸晃氏の失言は図星ゆえだな。福島第一原発で天皇は極めて真っ当なことを言った。急ごしらえの近代日本とその破滅に際して。そのお言葉に日本人は頭を垂れる。「平成の玉音放送」。どうして頭を垂れるのか。本当のところは説明できない。大御神は敗戦で神でなくなった。そして歴史の総括は日本人によってなされなかった。そういえば、ツイッターで書いたな。「戦前日本共産党リンチ自滅、大日本帝国の破滅、連合赤軍、サリン事件。実に日本的なことよ」と。通底するものがあるが、総括(反省)はされていない。陸軍の暴走(点数エリート)とオウムの相似。サティアンの跡地にはほぼ何もない。ここでも「何事もなかったこと」にするメンタリティーが。オウムのシステムは受験、あるいはサラリーマン社会的だ。日本社会は受験選抜システムだけは捨てない。その意味でオウムはわかり易い。で。(軍国日本が実は行き当たりばったりだったように、)オウムも行き当たりばったりだったのでは?と著者は問う。テロなら戦略があるはずだが、全く見えない。上祐は「クーデター」と言った。そちらのほうが近いかも。オウムは「国家内国家」を目論んでいたし。著者は「我らの内側に育った異物」(p194)とオウムのことを言う。だから、あれは「身内」の犯罪である、と。森達也の映画『A』は、おろおろする荒木氏の視点の「ほのぼの映画」。ドジっ娘ヒロイン風。著者は終戦直後の天皇行幸を思う。「神を創ってそのもとにまとまり、戦(聖戦)を戦い、そして負けた」(p199)。戦後の日本人について、神が負けたから神を忘れたふりをしていると著者は言う。これは三島由紀夫の叫びと同じだね。麻原彰晃の娘は敬宮愛子様のようだ。「男でなければならない」と言う周囲。屈折しない道理があろうか? 「近代天皇制」の呪縛。にしても、著者の旦那さんがサリン事件の二本前の電車に乗っていたとは。生きることの、生が繋がることの奇蹟、あるいは不思議さよ。
著者は公園の改修に関する会議に参加した。地域ボスが仕切り、全ては予定調和の中に。はじめに結論ありきの日本的「会議」。議会も一緒だね。子どもがうるさいから遊べないようにしよう、という方向で。この国が衰退するのも当然だね。にしてもこれは凄い。「複数意見があるときは、弱者の意見が最も尊重されなければならない」。誤解してはいけないのは、ここで言う弱者とは、発言権の無い子どものことではなく、発言権のある老人のことなのだ。ペテンと欺瞞の横車の国、ニホン万歳! 「弱者の皮を被った強者」。これがいかに民主主義をゆがめてきたことだろう。政治は自民党的、マスコミや教育は左翼的。で、左翼(声の大きいもの)の「特権」は自民党に接続される。解同、三重の在日、などなど。子どもは管理された空間でしか今や遊べない。そして、責任を取るのが嫌だから、管理者は相手に何も出来ないようにする。こうして子供は子供としての権利を奪われ、殺される。一言で言うと、大人がいないのだ。いや、大人が大人として振る舞うと、無限大の責任を押し付けられる。
ちょっと個人的な話を。小生は町工場街の下町育ち。テンゴしたら、知らんオッチャンにぶん殴られながら育った。空地で無茶な遊びをした。酷い怪我もした。良く見れば小生の首にはヤバい傷跡が今もある。医者が言うには「1センチずれてたら死んでたな」。今ならどうだろう。ある日、新居浜の街をぶらついていると子供が危ないことをしてた。叱った。翌日、職場で「昨日こんな不審者情報が市から出てたみたいですよ、『いきなり怒鳴る不審な40歳くらいの男性』」と言われた。それ、多分俺やん。空地で遊ぶ、小生みたいに大けがをする。すると「管理責任」が問われるだろう。子どもがアホなことをやって自業自得でも。 管理=責任回避で育った子は、その子の世代に復讐するであろう。子どもは自由を知らずに育つだろう。こうして閉塞感は再生産される。著者の反抗は少しだけ成果があった。公園で子どもはボール遊びを続けているようだ。
動くこと、声を出すことは目的を達しないかもしれない。だが、何かを変える。
民主主義の根幹は people(人民)。但し、イデオロギーなどで着色されない、natural people、鶴見俊輔の言葉で言えば natural persons。日本の民主主義は、色々と切り縮められてきたのではないか。「憲法」の「憲」は掟。Constitutionの訳語ならば「構成法」とでも言うべき。分かった気になっているだけで、為政者に都合よく利用されない言葉を日本人は持っている。あ、今、改憲が話題になるのは、今が「有事」前だからだね。白井聡氏参照のこと。戦後日本。吉田茂はアメリカを利用する意志があったが、今は彼の時代の作った構造が一人歩きして我々を呪縛する。時代の転換とともに我々は行為者の意図を離れてオートマトンの中に自ら投げ入れているのではないか?それは批判精神がない、ということではないか? 状況に押されて明治日本という急ごしらえの近代国家が出来た。「憲法」もそうして出来た。敗戦で「日本国憲法」がアメリカによって作られ、日本は「それを欲した形」で押し付けられた。その憲法を理解したければ大日本帝国憲法と比較するとよいし、人権宣言や独立宣言と比較するのも良いだろう。国民投票で変えるならば、未来の大人である子供にしっかりと教育を施した上で投票権を与えるべきだろう。現行憲法は、口語文生成の時代に数多くの翻訳を経て作られた。構造は大日本帝国憲法を踏襲している。天皇の権威は認め、侵すべからずと言いながら、巧みに実権を側近に与える憲法。自民党改憲案は露骨にそこに帰ろうとする。一部脱臼された神聖封建国家日本に。それは本当に近代国家だったのだろうか? そしてそれを踏襲する現在の日本国は近代国家なのだろうか? 一度しっかり、憲法論議をしたほうがいいようだ。改憲するにせよ、護憲に組するにせよ。
戦後は終わった。だが、何も変わっていないように見える。民主党の失敗が大きい。「「国体」に無防備すぎるやり方で手をつけてしまった」(p271)。自民党は傷を隠すように、東京オリンピック誘致に動き、成功した。それは一九六四年の幻想でもある。古い物語から自民党も離れられないのだ。「東京オンリー」一極集中の物語を。
「暴力連鎖を終わらせられる物語とは、どう言った物語だろうか?」(p290)
中野重治を思い出したり。
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべてのものうげなもの

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