『シャープ崩壊 名門企業を壊したのは誰か』(日本経済新聞出版社)
シャープは子供の頃の憧れの会社であった。実家から自転車で西に行けば本社、東に行けば久宝寺に工場。電卓を世界で最初に作った会社。当時電卓は不思議な機械で、また高価で、親戚の家にあるのを触ろうとしただけで怒られたものだ。そして、大人になってシャープの株を少しばかり購入したときは嬉しかった。意地でも売らないw
さて。「液晶の次は液晶」。この言葉が躓きを象徴している。事業には寿命がある。それを適切に読み取り、費用対効果の最大化を図るのだが、同時に最悪の事態を考えておくのが経営者の仕事である。とても難しいことだ。「液晶の次はxx」を考え、芽のための種を撒くのもトップの仕事。
経営は戦争みたいなものだ。兵隊(部下や従業員)に過度の頑張りをさせてはならず、あちこちに余裕を持たせ、遊びを入れる。数多くの敗戦にも関わらず、それでもなおアメリカが強いのはそのためだ。だが同時に緊張感と危機意識は持たせなくてはならない。そして、戦争もそうだが、「成功故に失敗する」。液晶の大成功が慢心を産んだ。
さらに。貧すれば鈍する。六代目社長が可哀想すぎる。誰がやってもうまくいくはずがないのに、誰も支えず、かつての権力者(社長)の横やりばかりで徒に時間を浪費させられる様子は哀れだ。
また、アングロサクソンによって育まれた資本主義ってのは、"The winner takes it all, the looser starving is God's divine."(勝者が全てを奪う、敗者が飢えるのは神の摂理)という理念の上にあり、根っからの農耕民族である日本人的な「日本の国益や日本の業界全体の利益も考えましょうよ」というものは毛の先ほどもない。サムソンや鴻海はアングロサクソンの原理で動いていることが良く分かった。それが悪いというわけではないが、そういうものだとして付き合わないといけない。それにしてもコピー機事業をよく売却しなかったものだ。日本人としてほっとした。
技術的には最高水準にある液晶、太陽電池がお荷物になったのは、政治にも左右された市況の影響によるところが多い。ここまで含めて「最悪の状態」を経営者は考えなくてはならないんだな。
何やら身につまされるのであった。

4