『改憲的護憲論』(松竹伸幸著、集英社新書=0914A)
憲法と国家主権が矛盾することはこれまでこのブログで何度も触れた。アメリカの相対的な力が落ちるとともに、それを隠すことは出来なくなってきた。著者の主張を一言で言うと、「憲法の矛盾を引き受け、防衛問題について事態を真剣に護憲派は引き受けなければならない」ということだ。「事態を引き受ける」レーニン主義者としての矜持を感じるね。
「はじめに」で本書の問題意識が示される。改憲派も護憲派も日本の防衛と平和のことを真剣に考えている点で共感できる点があるし、それをベースに議論すべきである、と。
第一章の冒頭で結構衝撃的なNHKの世論調査の結果が示される。「自衛隊も含めた軍事力を放棄することを明確にするべきだから」改憲が必要、という結果だ。「自衛隊廃止のための改憲論」が浮上しているということである。世論調査には「その他」という選択肢があり、その理由を付することがある(小生には経験がある)。
改憲派と同じく護憲派にも色合い(内部の差異)がある。専守防衛のために「改憲」を厭わない想田和弘氏(自衛隊を専守防衛として明文化)。専守防衛の自衛隊を合憲とみなす辻元清美氏。自衛隊完全廃止、即時非武装中立は見えないのが現状だ。国民世論は専守防衛を圧倒的多数(約9割)で認めている。同時に九条を多数は認めている。ある意味矛盾した世論なのである。因みに、海外で戦争が出来る軍備を目指すのを是とするのは2%未満である。だから、護憲派が「改憲したら海外で戦争をする国になる」と訴えても、世論がそれを求めないだろう。
かつて「専守防衛派は護憲派の敵であった」。憲法発布時、吉田首相は自衛権放棄を批判した野坂参三に対し「近年の戦争の多くは国家防衛権の名に於いて行はれたることは顕著なる事実」と反批判し、自衛権の放棄という立場を表明した。だが、冷戦、朝鮮戦争は状況を大きく変え、自衛隊結成に至る。成文憲法として「自衛権の否定」がないので、自衛隊を認めるという立場に政府は変えた。護憲派は当然憲法違反と批判する。そこで社会党を中心に「非武装中立」という護憲派が出来、一方「専守防衛」の改憲派が出来る。少数派だが共産党は「中立自衛」を長年訴えていた。
「非武装中立」で侵略者に出来ること。スターリニズムの残酷さを知っている21世紀の人間としては、軍事侵略のあったとき「デモ、ハンストから、種々のボイコット、非協力、ゼネストに至る広範な」抵抗なぞ、ハンガリーのように軍事的に殺されることに帰着することを知っているので、現在的には噴飯物だが、当時は可能と信じられていた。石橋正嗣氏の非武装中立論はそういうものであった。専守防衛は「一億玉砕」と決めつけられた。確かに領土が戦場だからなあ。小生の身の回りの大人たちは非武装中立をせせら笑っていたのを子供心に覚えている。そして社会党支持者は自衛隊の必要性を認めていた。(因みに、今現在、「領土が即戦場になるので、専守防衛は多大な犠牲を生じるから、専守防衛では国を守れない」と改憲派が訴えている。)
非武装中立論はどの程度現実を無視したものだったのか。一部に受け入れられた背景には核戦争の恐怖がある。相互確証破壊理論に基づいた核の冷戦の恐怖は、戦争=熱核戦争=即死というものだった。また、石橋とて非武装中立はすぐに実現できるとは考えていなかった。状況(「政権の安定度」「隊員の掌握度」「平和中立外交の進展」「諸外国との友好関係」)に応じて自衛隊を漸減するというものだった。言ってしまえば理念であり、現実ではない。社会党村山内閣が成立したとき、自衛隊合憲を言わざるを得なくなった背景がここにある。カンティストとしては複雑だ。結局、非武装中立は(不)可能(性)であり、専守防衛は有り得る解(落としどころ)であった。対立は「見せかけ」であった。しかしその時代に刻印された印象は今も人々を捉える。
21世紀になり、専守防衛が問われる。周辺事態法に始まる国会論戦がそれに当たる。イラク戦争で問題になった集団的自衛権。停戦合意を受けて紛争当事者の同意を得て行われる中立的な活動だが、戦闘に巻き込まれる可能性があった。(因みに「軍事のリアル」という本によると、自衛隊員は法的に未整備なまま投入されたとのこと。)この事態を受け、専守防衛派が護憲派を名乗って登場する。タカ派で知られた国防族の箕輪登・元衆院議員が「イラク派遣は憲法違反」と提訴する。支援は野党の護憲派だ。「アメリカの為の兵站任務は違憲だ」。「九条の会」が同じ頃発足したが、これも「海外で戦争する国づくりに反対」という一致点で出来た。
2017年、加憲案が安倍内閣から出される。国民世論との妥協の産物だろう。ならば、加えたところで何も変わらない。精力をそんなことに使う意味はあるのだろうか。唯一良いところは国民に認められている自衛隊が日陰者扱いされないことか。
現行憲法でのPKFは、自衛隊を危険に晒し、軍事ではなく民事で裁かれる危険がある。これは伊勢崎健治氏が述べている通り。PKFを行う場合、改憲が必要である。加憲案はそれを固定化する危険がある。自衛隊の宙ぶらりんは継続する。
ただ、加憲となれば、元自衛隊幕僚長の齋藤隆氏が言うように「本格的な集団的自衛権」に繋がる可能性もある。これは世論次第だろう。今は国家単独での防衛は通常兵器に限れば単独国家では不可能であり、集団安全保障がデフォルトの世界になっている。その現実的展開としては集団的自衛権のみが自衛権を保証するという考えが世界の常識であり、その常識を日本国民が共有する場合、そういうことになろう。でもそうなれば、加憲では間に合わないと思うのだがなあ。
現行憲法を是とし、同時に自衛隊を是とする国民世論から生じる矛盾に自衛隊(員)は晒されている。これを引き受け、解決する姿勢こそが護憲派に求められる。
第二章は「「戦争」と「平和」は対義語なのか」と題して。まず、九条があっても日本はベトナム戦争の兵站であるなどしてアメリカの戦争に加担している、と、新左翼的なことを示して護憲派に冷や水を(正当に)浴びせる。戦争か平和かは九条だけを基準に語ることは出来ない。改憲派も護憲派もごく一部を除いて戦争を望まない。戦争と平和は現実には対立関係にない。
歴史を遡る。山縣有朋は国境を「主権線」と位置づけ、その外に「生命線」を措定した。その先に「満蒙生命線」という発想があり、泥沼の日中戦争に繋がった。「自衛の戦争」として。自衛の名の下の侵略戦争としての集団的自衛権という考えがある。ソ連によるチェコ、アフガン侵攻、アメリカによるベトナムやグレナダ侵攻など。国連安保理決議で集団的自衛権が認められたのは三例のみ。なお、9・11後のアメリカは個別的自衛権の発動としてアフガン侵攻、イラク戦争を行った。結果、テロは中東周辺に拡散している。では集団的自衛権も個別的自衛権もダメなのか。侵略される側に立てばそれは言えない。例えば、ベトナム戦争における北ベトナムに自衛するなと言えるのか。「護憲派こそ、自衛戦争は支持するべき」(p68)なのである。その上で、自衛戦争をするにしても「急迫不正の侵害」「武力のみが解決手段(まずは外交努力)」「均衡程度の反撃」という制約がある。アメリカの戦争の多くはそれを超えている。また、歴史的には自衛戦争が侵略戦争に転化する場合がある。晋仏戦争が代表的。侵略と自衛は明確に区別できない場合があり、左翼は戦争の性質によって支持したり反対したりするものだ。その観点からも、自衛のために自衛隊が必要という考えも筋が通るし、何よりも日本国民の支持がある。
不正義の平和の例としてシエラレオネがある。国民を煽り殺戮を行った戦争当事者が妥協して政権の要職に就き、何の責任も追及されていない。裁きのない事実調査と和解。そういう平和もあるのだ。また正義の戦争としてベトナム戦争がある。ベトナム人は「奴隷の平和」を拒否した。第二次世界大戦後、数多くの民族独立解放闘争を通じて多くの植民地支配は終わった。左翼的には全く正しい考え方だが、「独立と自由のための戦争もいけない」と考える人も日本にはいる。日本にあてはめるなら、日本が侵略されてもされるがままになれ、ということである。そうなると、日本国憲法も九条も消滅するのだが。戦争を全否定することは出来ないが、戦争全般の肯定になってもいけない。中国の愛国教育に著者は懸念を表明する。「戦争と平和ということの全般が正確に教えられていない」(P86)と。
なお、中国が武力で尖閣を奪うこと、日本が竹島を同様に奪還することは国連総会で一致採択された「友好関係原則宣言」で否定されている。国連憲章第五一条は個別的、集団的自衛の権利を認めているが、先の三条件が課されていて、国連の許可なくして自衛権は発動できない。とはいえ、主としてアメリカにより現実には蹂躙されている。
さて。歴史的に見て戦争は減少している。(小規模に拡散していると見ることも出来るが)自衛隊が必要ならばそれを憲法に明記すべきという改憲論に意味はあるが、現実は九条の理想に近づいている。だから九条は理念として置いておく価値はあるとも言える。
国連を前提とした場合、五〇年代のアメリカの脱法行為は野放しだが、ソ連の脱法行為は国連で批判された。だが植民地が独立し、六〇年代に大挙して国連加盟してから少しずつ変わっていった。そして八〇年代、アメリカもソ連も公然と批判されるようになった。アフガン侵攻もグレナダ侵攻も批判されたのだ。国連憲章は縛りとして少しずつ強くなっている。
PKOは「住民を保護するため、みずから交戦当事者とな」(p99)るものであり、日本国憲法と矛盾する。著者はそれについて、国民が求める専守防衛と矛盾するので日本の仕事でないとする。日本の仕事は和解のための努力であるとする。但し、それは戦地で行う可能性があり極めて危険な仕事である。が、護憲派こそすべきことであろう。
第三章は「共産党は憲法・防衛論の矛盾を克服できるか」と題して。共産党の憲法・防衛論は過去も現在も矛盾していると著者は言う。過去の日本共産党は武装中立の改憲派である。九〇年代に護憲に与するようになった。(専守防衛が護憲の論理になった頃。)その一方、侵略に対しては自衛隊を使うと言う。著者は一九九四年から日本共産党の政策委員会で安全保障を担当し、党の矛盾と長年向き合ってきた。
共産党の武装中立路線は社会党の非武装中立路線との対決の中で鍛えられたものだった。七三年、「『民主連合政府綱領についての日本共産党の提案』について」において、「可能なあらゆる手段ンを動員して(侵略と)たたかうことは、主権国家として当然」と共産党は主張した。屈服はしない、という趣旨である。社会党は(改憲派に)口実を与えたと日本共産党を批判した。「日本共産党にとって、憲法九条は平和主義と相容れないという認識」(p110)だったのだ。日本共産党は一九七五年には改憲派だったのだ。「将来日本が名実ともに独立、中立の主権国家となったときに、第九条は、日本の独立と中立を守る自衛権の行使にあらかじめ大きな制約をくわえたものであり」(「民主主義を発展させる日本共産党の立場」一九七五年)ミヤケンは自民党のようなゴマカシ解釈はしないとして「最小限、文字どおり自衛で、節度のある防衛に限定して軍隊を持ちうるという規定を適当な方法で考慮する」(『”共産党政権下”の安全保障』毎日新聞社、一九六九年)と言った。志願制も。だが、九条改正は将来のこととした。背景として民主連合政府の相手を社会党(護憲)としていたこと。また改憲は自民党の党是であり、集団的自衛権に道を開く危険があったことが挙げられる。ガチ左翼は「護憲」ではなく「改憲阻止」なのだ。ともあれ。民主連合政府では自衛隊は縮小・廃止、だが共産党政権ではいずれは軍隊として認める。大きな矛盾が生まれた。
八〇年代、民主連合政府構想の影響下の共産党は憲法改正問題の議論をせず、とし、一方、自衛戦力の必要性について「国民の総意」を形成しようとした。だが一九九四年、第二〇回大会決議で「憲法九条は、みずからのいっさいの軍備を禁止することで、戦争の放棄という理想を、極限にまでおしすすめたという点で、平和理念の具現化として、国際的にも先駆的な意義をもっている」と九条の評価を変えた。侵略に対しては「警察力」で対処するとした。(これは噴飯物である。)小生としては社民党と同じお花畑に共産党はなった。かつての真っ当な主張を放棄したことになり、整合性はない。背景に、共産党支持者は「自衛隊を不要」と多数が考えていたことがあろう。(社会党支持者の多数は自衛隊を必要と考えていた。)また、活動の現場では事実上護憲の立場に長年立っていたことも挙げられよう。(密教としての改憲、顕教としての護憲)だが、警察力で防衛はさすがに国民に受け入れられない。「ミサイルが来ないように外交努力する」とテレビなどで共産党の議員さんが言っているのを見て冷笑していた(答えになっていないから)のを思い出す。そこで二〇〇〇年、自衛隊活用論が出る。が、党内の評判は悪かったらしい。小生は「自衛隊もなめられたものだ」と思うが、著者は非常に合理的と考えたようだ。まあ、お花畑から憲法九条を尊重する条件の下でのリアリズムへの復帰ではある。その後、海外派兵については何でも反対というわけではなくなる。「反対しない」という態度もあるのだ。自衛隊ではないが、二〇〇一年秋には海上保安庁法改正案に賛成した。因みに不審船撃沈は主権国家として当然最低限しなければならないことを日本は行ったと小生は思う。その法的根拠がこの改正であった。
著者は二〇〇五年四月の「議会と自治体」に「九条改憲反対を全国民的規模でたたかうために」という論文を寄稿する。大事なところは「自衛隊を活用するという点では、(国民と)気持ちを共有していることを、率直に表明するのです。そのうえで、日本を海外で戦争しない国にしないために、いっしょに九条を守ろうと呼びかけるのです」(p134)ということだ。国民多数との一致点として妥当なところであろう。だが、これが党内で批判された。自衛隊活用論は「ずっと将来の段階のもの」であり、民主連合政府成立時のみで、著者の論文は大会決定と相容れないということである。自己批判文を著者は求められた。党内で防衛問題の第一人者の著者にして「そんなこと聞いてないよ!」ということで自己批判を迫られるとは! なお「民主連合政府成立時のみ」というのは大会における修正で付与されており、よほど深読み出来ないと分からない構成である。議論と決定は指導者のものであり、
幹部以外は無という日本共産党の体質がここにも見られる。著者は議論を申し出るが、無視され、退職を選ぶ。二〇一一年、大震災で自衛隊が出動、共産党の県組織は駐屯地を慰労したいと中央委員会に申し出るが「活用論の段階ではない」と却下されるなど、共産党中央の「理論」は軋轢を齎す。今、このように著者が出版しているのは「党の決定に反する」ものでなくなった、すなわち素直に読めば著者は離党したからである。(「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」という党の規約に反しない、ということだ。ジノヴィエフとカーメネフを許したレーニンと、何と異なることだろう!)
その後共産党は若干変わる。「自衛隊員の生命を全力で守ります」という看板を舞鶴で掲げたり、「専守防衛」も誇りと訴える自衛隊員を候補者に据えたり。二〇一五年には「当面も自衛隊を活用する」という立場を志位和夫氏は表明する。党
大会よりも党幹部が上にあることがよくわかるね(呆)。二〇一六年「人殺し予算」発言の後、党は七月一日の法定ビラで「国民の命を守るために自衛隊に活動してもらう」と書く。だが。活用するとしても、自衛隊は違憲という見解を共産党は持っている。かつて社会党が政権に就いたとき、社会党は自衛隊の違憲合法論を捨て、合憲論に移行した。安倍首相はそこをネット党首討論(二〇一七年一〇月)で突いた。志位氏は「(政府としては)合憲という解釈が続く」と言う。だが志位氏が防衛大臣になった場合、内閣の信頼性が疑われよう。権力を握ろうとする人間が、そんな無責任なことは本来言えるはずがない。「私(著者)としては、国民の生命を守り、国家の存立をはかるために必要なことについては、政府であれ政党であれ、違憲という立場に立ってはいけないと考えます」(p150)。九条と国防は矛盾するのだ。ではそれをどうするか。
終章は「護憲による矛盾は護憲派が引き受ける」と題して。現状の国民世論は「九条と専守防衛の自衛隊の共存」であり、共産党を含め自衛隊は侵略時に頑張ってもらうという立場に国民は立っている。安倍首相の加憲論はそれを踏まえている。護憲派は今迄のように自衛隊に反対するだけでは国民に見捨てられよう。いかに九条と自衛隊が矛盾していても、である。それを踏まえたうえで、この矛盾を引き受け、改憲派よりも日本防衛を考える護憲派にならなければなるまい。
まず、国防組織たる自衛隊に敬意を表すること。防衛訓練に反対しないこと。隊員募集に反対しないこと。次に、専守防衛のための政策に関する議論を深めて自分のものにすること。それは、権力を握らない限り護憲派の理想は実現しないということからも規定される。20世紀中ごろとは世の中は変わり、米中関係も変化した。日本独自の防衛戦略も必要と筆者は言う。また核拡散の現実を見ると、「核抑止戦略一本槍の考え方が核抑止戦略を崩壊させている」(p161)現実がある。戦略的には日本の自立が求められるのだ。また、これは伊勢崎賢治さんが詳しいと思うが、交戦規則や裁判制度に挑むこと。自主防衛と言っても、交戦規則(ROE)も定まっていないとのこと。現状の警察比例の原則では対応できない。それは専守防衛の考えを確固たるものにすることでもある。人道法違反は裁き、合致するものは合法化する。常備軍がないコスタリカはそういう国際法を持ち、法的に戦争に対応している。コスタリカの警察隊は事実上の軍隊で、交戦が想定されている。憲法76条で特別裁判所は設置できないとされているが、家庭裁判所(違憲訴訟があったが合憲とされた)の例もある。下級裁判所として設置することが可能。「我、自衛官を愛す。故に、憲法九条を守る」(内藤功弁護士)。
補論は「自衛隊の違憲・合憲論を乗り越える」と題して。朝日新聞による一九九一年の憲法学者への調査では八四%が違憲論であったが、二〇一五年には六三%に減っている。今、違憲と大筋合意されているのは海外派兵である。自衛隊の存在そのものを違憲とする憲法学者は2/3を割った。海外派兵が違憲であるという判決として「自衛隊イラク派兵差止訴訟」がある。一二の裁判のうち、名古屋では憲法九条一項に違反するとされた。武装した兵士を戦地に輸送することが違反であると認定された。これは「武力行使と一体化した後方支援は武力の行使とみなされる
という政府の解釈に基づいたものである。イラク特措法を合憲とみなした上での違憲判決である。但し訴訟主体の適格性で敗訴となっている。が、派遣される自衛隊員が裁判を起こしたら勝っていたということだ。
自衛隊違憲判決で代表的なものは「長沼訴訟第一審判決」。世界中の軍隊が自衛権の名の下に存在するので、「必要最小限度の自衛力は戦力にあたらない」ということなら世界中に軍隊が存在しないことになってしまう、という判決。細かく見るとややこしい判決である。冒頭で「松前・バーンズ協定」が取り上げられる。この協定によると航空自衛隊は米空軍の指揮下に入らざるを得ないことを判決は主張する。自衛隊は日本防衛のための独自の判断、行動をとることが出来ない仕組みになっている、と。二〇一三年の外務省公開文書によると、この協定には「場合によっては相手方領域内に入ってよい」という米空軍による対処行動が書かれていた。自衛隊の警察原則も、専守防衛も吹っ飛ぶ話である。因みに防衛庁が協定の廃止を一九六五年に求めたが、外務省が拒否して今も生きている。イケイケの米空軍を守るために自衛隊はあるのだ。(証言者は源田実氏、以下に大事なことを引用する。
「今の日本の航空自衛隊というものが、何を目標として訓練し、何をやるべきかというと……(中略)アメリカの反撃力が飛び立っている基地を守る」(p199) 続いて国土の防衛は、「はるかにそれに付随したもの」(p200)と書かれている。海上自衛隊も米軍支援のためにあるのだ。自衛隊の本務は本土防衛にはない。日本を守るためには在日米軍基地を守る必要がある、とされている。
最後に、自衛隊と憲法は字義通りには矛盾している。だが国民は両方を是としてきた。武力攻撃に対しては実力行使しかない。国民の生命を守ることは憲法13条に保障された権利であり、そういう時はそうするしかない。だが、その道具としての自衛隊は違憲だとしたら? 武装勢力に日本が制圧したら憲法9条もなくなる。なお、長沼判決は米軍の為の自衛隊を違憲としたが、専守防衛ならば異なった判決を出したであろう。一九九二年の防衛白書では力の空白による不安定要因とならないための自衛力を言っている。二一世紀になり専守防衛から外れつつある今、そこに限定するための闘いが必要ではないか、そのためには政権を担う覚悟をもった幅広い護憲派の共闘が必要でないか、と著者は訴える。
んで。今や単独国家レベルでは防衛できる時代は去ったと個人的には思う。集団安保体制を構築し、その上で抑制的な軍隊を維持し、各国と協調することが大事ではないかと改憲派としては思う。

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