TAMO2ちんの日常

思想の嵐 猛(たけ)るとも 正しき道を いざ進め 

 

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投稿者:トテトテトテ
タマです。飼主はいいます。確かに活動家のしつこさには目に余ります。熱心であればあるほどしつこさは度を越す。「なぜなら、認識作用は、いろいろな努力を通じて、直接的な、したがって、なんら努力を要しない関係を、つくり出しているにすぎないのに、それとは全くちがったことをしているような、ふりをするからである」(ヘーゲル「精神現象学・上・P.102」平凡社ライブラリー)いわゆる「熱心」な活動家の言動にはやりきれない思いを何度もさせられました。それはそうと。>「金の切れ目が縁の切れ目」。これには二重の意味が。某出版社から出た某大学研究グループによる同和地区フィールドワークの研究報告。対象が学生なのでぽろりと出たと思われる本音も。「援助が得られるがゆえに地区内に残る」のではなく「援助が得られるにもかかわらず地区外に出る」という学生らの発生。「下駄を履かされて育ち就職する」のではなくあえて「下駄を捨てて就職し自分の力を試したい」という学生らの意識変化。地区から自主的に出ていく理由は同和地区出身という出自を隠したいというわけではなく「本当の自力はどのようなものなのだろう」というその一心が思いのほかとても強くなっていたということです。上の世代からすれば「そこまで育ててやったのは俺たち」なのに「恩を仇で返すつもりか」となる。このへんの機微は今となってはわかりません。本を買ったわけではなく立ち読みだったので。また当時は一九九五年から少し経った頃で書店には地下鉄サリン事件関連書が溢れかえっており、地味な研究書などすぐさま本棚から撤去されたのでした。あの頃世に出た学生は後のロスジェネ。企業サイドとしては出自など調べようと思えば地区出身者であることはすぐにわかる。しかし自ら下駄を捨て、地名総鑑が出回っていることも承知の上で援助や保護なしに社会へ出た彼ら彼女らがいたという事実はけっして忘れられてはいけないとおもっています。冷笑する人はいるでしょう。そんなことができたのは援助なしでも「そもそも実力があったからだ」と切り捨てることはたやすいでしょうから。

とのことです。トテトテトテ〜。
投稿者:TAMO2
タマ様

ただ、一挙に包囲網が作ることが出来た背景には、被差別当該の圧倒的多数が部落解放同盟を嫌っていたり、「金の切れ目が縁の切れ目」ということがあったのも事実だと思います。平野の被差別部落には「活動家」が1970年代半ばに大量流入(矢田でソ連派が勝利し、中国派が逃げてきたとか)し、元の住民はよそに行きました。今はガラガラの街になっています。

谷畑さんはともかく、上田卓三への批判は左側から結構聞いています。
投稿者:トテトテトテ
タマです。飼主はいいます。

>google map

マスコミはいつもそう。googleが業界を独占して頂点にいた頃、google批判なんて誰もしなかったですからね。日本のマスコミなんてむしろおべっかを使って散々宣伝していました。それが今になってGAFAがどうしたこうしたと。

>飛鳥会事件

TAMO2氏のいうように「国策」的スケープゴートだったと思います。一挙に包囲網が出来上がっていたでしょう。おかし過ぎます。発覚する三年くらい前。関大の学生時代、飛鳥解放会館の隣の南方解放会館と中島中学校の宿直のバイトをやっていました。そのまた隣の日の出地区のバイトはまた違う人々。関大のノンセクトが食い込めたのは全共闘時代に関大ノンセクがまだ赤軍派だった頃に実力で食い込んだんだろうと思ってますが。

事件発覚前に社会党から衆院議員当選、発覚後に自民党へ入党、今やなぜか維新の会所属の谷畑孝議員には何かこう腑に落ちるコメントが欲しいと今でも思ったりします。しかしそれはそれで事情があるのでしょう。なにせ関大は自民だけでなく野党系にしても社会党、共産党、公明党ーーーいろいろあり過ぎました。解同にしても奈良系は青ヘル、大阪は大阪市は主に社会党系、南部では大阪市大を中心に中核派系もいたんじゃないでしょうか。でも個人的な社会活動では学内より学外のほうが好きで生野区の障害者介護を六年間くらいやってました。そのメンバーたるやノンセク学生だけでなく、一般市民、在日韓国人学生、中核派(たぶん)メンバー、超名門市立高校教師(ノンセク)など種々様々。わいわいやってるんで一体何をやってるんでしょ?って感じで在日韓国人女性が遊びに来たり。楽しかったなあ。

中上健次がこんなことを言っています。

「土地所有が部落《問題》の大きな要素であると見る私の眼に、平地の少ないこの紀伊半島という闇の国家は、部落《問題》という固い核を抱えているように見える。『差別』なる物の怪は、市民のおびえがつくり出し行政当局が利用するものである、と私は思う」(中上健次「紀州〜木の国・根の国物語・P.291」角川文庫)

しかし差別はなくならないですね。離合集散を繰り返しつつ融合してきたとはいっても。在日韓国人差別は根強いものがあります。

とのことです。トテトテトテ〜。
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