『五瓣の椿』(山本周五郎著、新潮文庫=590)
朝、出勤で聞いているラジオは「ありがとう浜村淳」。その中に「浜村淳ファミリー劇場」というコーナーがあり、そこで演じられたのがこれ。浜村淳は話の天才である。興味を持つのも当然である。ありがとう、浜村淳!
で。読後感はやりきれなさ、哀しさ、そういうもの。人が人を裁くことの意味。法と掟。あらすじはネットに任せる。妻に朴念仁(空手バカ一代で読んで以来の言葉だなw)と呼ばれた夫、その夫を実の父と思って育った娘。妻は夫に「男」を見ていず、不義で娘を産んだ。殺すことよりも恐ろしい復讐を実の父に果たす娘。さて、朴念仁系(爆)としては、夫もちょっとあかんなあ、と正直思ったり、娘の最期(お仕置き(処刑)が怖くて自害)とか、何なんだかなあ、感が正直あった。が。途中から勘の鋭い与力が登場することで、スリルが増し、とても面白い小説であった。また、おしのが結局、苦しむ人は救っても結局苦しむことになるとか、世間の実相を語るところも読ませる。こぶりなおっぱい描写もいい(核爆)。
ところで。夫は「最後にいっておきたいことがある」って、「朴念仁で済まなんだ」という可能性もあるよなあと実は思った。
また、山田宗睦氏の解説もいいね。ヘーゲル『精神現象学』のアンチゴーネの悲劇の分析を引き合いに、「神の<掟>を守るものが、人間の<法>によって死なねばならぬ矛盾」と書いているのは、この小説の主題であり、小生の思春期に大いに影響を与えた「ブラック・エンジェルス」の主題でもあるし、そして、現在、宗教を巡る様々な紛争の一つの面である。
気になったセリフや文章を少し書いておこう。
「人が生きてゆくためには、お互いに守らなければならない掟がある。その掟が守られなければ世の中は成り立ってゆかないであろうし、人間の人間らしさも失われてしまうであろう。」(p320)
「しんじつそうせずにいられなかったとすれば、それについて悔やむ必要はないよ」(p328)

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