「大日本帝国主義に踊った人や内ゲバ党派の「衣鉢」を継ぎたい!」
幻論
親鸞の本を読み、悪について 思いをめぐらすとき、上のような欲望を感じた。
勿論、「あれは正しい」と言ったりするためではない。
ましてや、断罪するためではない。何があったのか、人間はどうしてそういう愚かしいことをしてしまうのかを知りたいからだ。自分も警察を呼んで、S工作を受けるというヘマを(恐怖心から)やらかしてしまったから、今なら何がしか理解できそうな気がするからだ。
そして、もう一つは、我が仰山党の客人である近衛師団長に共感するからだ。彼は「戦前日本の愚かしさを指弾するだけで、自らの正義性を担保できると考えている左翼に反吐が出る」ということを言う。勿論、師団長も戦前日本の愚かしさや駄目なところに批判をもっている。だけど、その愚かしさは誰でももっていると正しく見抜いておられるんだろう。
人間、純粋な悪意から出発して悪をなすことは殆どなかろう。むしろ、聖書に言うように「地獄への道は善意で敷き詰められている」のだ。戦前の日本人は西欧列強による帝国主義に蹂躙されたアジア・アフリカの状況を悲しみ、憤り、真剣にアジア解放の大義を掲げ、行動していた。内ゲバをやらかした人たちは貧困も抑圧もない社会を真面目に考え、行動した。出発点は善意そのものだ。
まずは内ゲバから。で、佐藤優氏の本を読んで、大日本帝国の失敗について考えてみたい。

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